山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

大晦日にやって来る謎の大男

あ。そだそだ。

先日、従姉妹から聞いた話が面白かったので、忘れないうちにここに書き留めておきます(備忘録)

 

それは昭和40年代前半頃(1965年~1968年頃)の事。

従姉妹は本家の長女の娘でして。

夏休み冬休みになると、福岡から本家に彼女の兄と一緒に長期間預けられちゃう習慣があったんですね。

従姉妹は赤ん坊の頃から本家によく行ってたので、彼女は本家で、まるで自分の家のように振る舞っておりました(ワシは子供時代にその様子を驚嘆の目で見ていた)

 

本家には子供がいなかったので(今回亡くなった叔父には子供がなかった)祖母、叔父、叔父の妻(この人は30年ほど前に病気でなくなった)という大人所帯にて、従姉妹はその兄とともに長期休みを過ごしていたわけです。

 

するとですね。

冬休みになって大晦日になりますと、毎年、何処からともなく見知らぬ無口な大男のおじさんがやってきて、一緒に本家で年越しをするらしいんですよ。

晦日の夕方になるとその無口なおじさんは毎年やってきて、一緒にこたつに入って一緒に夕飯を食べ、一緒に紅白をテレビで見て。

日付が変わると帰っていく謎のおじさんだったらしいんですね。

 

それで従姉妹は子供時代からそのおじさんの存在を不思議に思ってて、おとなになった時に自分の母に聞いてみたら、

「ああ、◯◯さんね あの人は元小作人だったのよ」

と言われたそうです。

 

本家は江戸時代から続く庄屋の家で、地主だったので。

戦後の農地開放までは小作人や作男、下働きの女性や使用人を多数抱えていたのですが。

戦後には土地も接収され、それによって小作人など使用人の方々も散り散りになって誰もいなくなったわけですが。

 

昭和も40年代頃までは、その戦前の習慣?が残ってて、律儀に毎年、元・小作人の方で「年越しは地主さん宅で過ごす」を実施なさってた方がいらしたという証言でした。

「うーん、まあ、江戸時代から先祖代々続いていた年越しの習慣だったから急にやめることが出来なかったのかも?ねえ」

と、ワシは従姉妹に言ったのですが。

ワシは小学校高学年になるまで本家で年越しをしたことがなかったので、そのおじさんの存在は全く知りませんでした。

 

江戸時代から続く地主と小作人の関係の一端を見た思いがしました。