山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

まこっちゃん(鮎川誠)との出会い

昨日、ラジオを聞きながら夕飯の準備をしていたら、訃報が飛び込んできました↓

www3.nhk.or.jp

「なんとまあ…」と、このニュースには驚いてしまって、思わず声が出ました。

「つい先々月?娘さんとラジオに出てらして、すごく明るく、コロナからなかなか復帰できないDJを優しく励ましてらしたのに」と思いました。

 

ワシと鮎川誠の最初の出会いは。

「ラジオの公開放送」で、でした。

別に鮎川誠が公開放送に来たわけじゃないです(;^ω^)

たまたま実家近くの体育館に、好きなラジオ番組の公開収録(生放送だったっけ)が来たので、自転車に乗ってその収録の様子を見に出かけたんですな、中学生のワシは。

 

そもそもワシは、小5の時に鉱石ラジオの工作キットが学習雑誌の付録についてたので、それを父親に組み立ててもらいまして。

なんとこれが簡単な仕組みなのに、ちゃんとラジオが聞けたんですよ。音は小さいからイヤホンで聞くしか無いんですけどね。

一応、AM放送がちゃんと聞けました。

その日からワシの友達はラジオになったんですよ。

それからロックに触れて知らない音楽に出会えたり、深夜放送の楽しさに開眼したりしてて。ワシの音楽人生のスタートはラジオから_だったんですね。

 

で、そのラジオの公開収録が(生放送だったか?)我が家の近くにやって来る!なんといつも聞いて親しんでいる「ラジオの中の人たち」が家のすぐ近所に来る!という。なんという興奮w

「これは見に行かねばなるまい!!」と言うことで大層ハッスル(死語)して出かけたわけです。

 

会場はご近所の小中学生で押すな押すなの大入り満員でした。

そこで、いつも声を聞いているローカル局のアナウンサーの人たちやアシスタントのお姉さんたちが登場して、地元の話題を伝えたり、会場からリクエストを募ったり、集まったお客さんにクイズを出したりしてたんですね。

そこでなんとワシはクイズに正解しまして(会場で唯一人、正解がわかった)賞品としてコカコーラのプールバッグをもらいまして(そのプールバッグは高校卒業するまで学校のプール授業に使ったw)

そして「クイズの出演記念?」て事で、放送局にたんまりあると思しき「サンプル盤」と呼ばれるEPレコード盤(いわゆるドーナツ盤)を貰いました。

 

それがこの曲でした↓

当時のワシは「なんかエライもんもらっちゃったなー、これが噂のサンハウスか(田舎の中学生でも博多の売出し中のロックバンド「サンハウス」の名前は知ってた)」

「しかし、よーわからんね」って事で何度か聞いただけで、ステレオの棚にしまい込みましたw

 

そして鮎川誠とシーナ夫妻をたまたまの偶然で、間近で見ちゃうことになるのは1980年?の事になります。

そのあまりのオーラの眩しさに目が潰れかけましたw(この話はいずれ書くかも)