山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「ルードウィヒ」

今、GYAOで映画「ルードウィヒ」(1972年 ルキノ・ヴィスコンティ監督)を配信してまして。

ルートヴィヒ (1972年の映画) - Wikipedia

ワシは20代の頃にこれを劇場で見たんですけどね。その時は「神々の黄昏」なんて言う副題?日本オリジナルのタイトル?がついてました。

でも、そのときに見たのは映画会社によって短縮された184分版でした。それでも当時は「なげーな!」と思いながら見てましたけどねw

 

今、GYAOにて無料で配信されている「ルードウィヒ」画面が美々しくレストアされて、目にも鮮やかな画面ともともとの長さに復元された237分版です。

 

初めて237分版(ヴィスコンティが最初に作ったこの映画のもともとの長さ)を見たんですけどね…

短縮版より話がわかりやすかったです。短縮版(それでも3時間!)はなんか突然、時間が過ぎてたり、「ん??結局どーなったの?」とよくわからないシーンがあった気がするんですが。

ワシが年をとったせいか?ルードウィヒの病、従姉妹への思慕、思うようにならない世間、国民、臣下たちとの軋轢。ワグナー一家にむしられ浪費される国費。どれもスリリングで見ごたえがありましたねえ。

でもこの237分版で一番見応えがあったのはやはり「ドキッ男だらけの酒池肉林」のシーンでした。

これ、短縮版では見た記憶がない?印象が残ってない?んですけど。

なんか狂王ルードウィヒが美青年を周りに侍らせて楽しいゲームや遊びに興じているシーンがねえ…なんとも悲しく恐ろしいシーンでした。

 

同じヴィスコンティ監督の1970年の作品「地獄に堕ちた勇者ども」でも突撃隊が粛清されるシーンでやはり「ドキッ男だらけの~」が伺えるシーンがあったんですけど。

やっぱりホンモノは違うって言うか。

そういう男だらけの酒池肉林をなさってた人は表現が違いますね…説得力が違いました。

 

ま、そんなふうにして、「ルードウィヒ」を見ながらワシは編み物をしてるわけです。

弐号機の悩みは「ワイはベレー帽が似合わない」なんだそうで。

それを解消するためのベレー帽をカーチャンが編んでやろうじゃあないか!というわけです。

 

かぎ針でチキチキ編んでゆきます。

勘で(!!)増やし目減らし目しながら編みました。

※表

※裏

 

ワシが被ってみてサイズ感を見ます↓

で、弐号機にかぶせてみたらなかなかかわいい。

でも弐号機は「ワイが被っても文学少女という風情にならないのよね」と不満そうでした。

それはキミが文学少女じゃないからなのでは?(゚∀゚)