山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

猫の王様

と、言うわけで。

またぞろ、友人宅で猫シッターをしておりました。

今日はその話を書いておきますね。

 

友人が彼女の夫と石垣島に出かけてしまうので、その留守中、猫ちゃんたちの世話をお願いしますと頼まれたわけです。

いつも気安く受けているのですが。

今回は2~3年ぶりの猫シッターなわけですよ。

(つまり、コロナになってから、友人宅は夫婦揃って旅行をしなくなったので、猫のお世話係外注が不要になってしまった)

友人宅の猫は始祖ブラッキーから始まって散々お世話してきたので、猫シッターと言ってもそんなにオオゴトな事をするわけではござんせん。

 

フードを上げて、トイレ掃除をして、猫を構う程度のものです。

今回、一番変わったことは、長寿だったブラッキー、通称「死のない猫」がついに亡くなりまして(20歳オーバー)その次の世代のフラッフィーが加齢により眼が見えなくなってた事でした。

 

フラッフィーと言えば、一番ワシに懐いてたオス猫で、見てよ!この美貌↓

呼べば答える、ワシにまとわりついてきて、甘えるために全身でアタックしてくるような猫でした。

それが、たった2~3年の間にガックリと老け込みまして、今では眼まで見えなくなっっていると言う。

月日が立つのは早くて残酷です。とくに時間の進み方が早い犬猫にとっては。

 

まず猫シッターの始まりは家に入りながら猫たちに「おはようございます!!」と大声で挨拶して「世話人が来たよ」と告げることから始まります。

ワシの声を聞いて、怯え猫のサニーは全速力で逃げていきます(そしてお世話している間中、どこかに隠れてて、ワシの前に姿を現しませんでした)

 

リビングに入ってって、ベランダのガラスを開けますと、元気なクリーミーはさっさとベランダに出ていきます。

目の見えないフラッフィーはのそのそと起き上がって「あ、久しぶりに世話人が来たな」とワシの様子をうかがいます。

世話人がワシだとわかると、全身でぶつかってきて甘えてくれます(目が見えなくてもわかるのね)

猫はおひさまに当てて日光浴をさせないとビタミンが欠乏して病気になってしまうので、ワシは毎日、せっせとフラッフィーをベランダの日の当たる場所に連れてっては強制日向ぼっこをさせておりました。

その間に新しいフードの準備やトイレ掃除、飲水の入れ替え、なんかをして、まだ猫たちがベランダから戻ってくる様子がなければ、軽くリビングの掃除もします。

植木のお花や野菜に水やりして、ほっと一息ついたら、「猫モミ」をして猫たちにスキンシップします。

「今日もいい天気だったな、石垣島はどうだったかな」と窓の外を見ると、トンビが目の高さで飛び回っております。