この映画が好きな方は回れ右をしてお帰りくださいね。
きっと気分を害されます。
では、参ります…
もとは2018年?にブロードウェイで上演されたミュージカル「アメリカン・ユートピア」を映画として記録したもののようです。
監督はスパイク・リー。
実はワシは見終わってから監督がスパイク・リーと知り、「しまった…見るんじゃなかった」と思った事でしたよ(´ω`)トホホ…
どうも彼の映画とワシの相性は良くなくて(;^ω^)
とても理解できないと言いましょうか。置かれている立場も違いすぎてさっぱりわからないんですな。
実はワシは見るまではこの映画の内容もよくわかってなくて。
「デビッド・バーンがトーキング・ヘッズとして作られた楽曲をまるで自分だけでこさえた作品であるかのように好き勝手に使って舞台をやっているようだ」程度の認識でした。
実際にどの程度、トーキング・ヘッズの楽曲を使っているのかと全く知らなくて、何気なく見始めて驚愕に継ぐ驚愕でありました。
それは、ほぼ全曲、ワシが知っている楽曲だらけであったからに他ならず…
例えばこの曲↓
ワシは1977年にリアルタイムでこのデビューアルバムを買ってて(日本版がリリースされる2年近く前)
この曲が好きで好きでたまらず。当時はこの曲もほぼ自分のテーマソングみたいに思っておりまして。
自分と世界、社会、歴史、そんなものとの距離の取り方もわからず、何者でもない自分はどうやってここで生きていけば良いのかまだ皆目わからない状態でもあったので、そんな中でトーキング・ヘッズの歌は「ちっぽけな自分」というのをかなりリアルに映してくれている鏡のようだと感じてました。
つまり、17歳から25歳くらいまで、ワシの人生はトーキング・ヘッズとともにあったと言えるほどなんですよ。
それがまさかねえ…
1980年代後半から「アメリカ人の意識高い系な人たち」のおもちゃになってきた印象もあるデビッド・バーン(それが理由でファンを辞めた)が、2022年の今、その印象そのままに、
「物分かりの良いポリコレ白人」になった姿なんか見たくなかったですよ。
BLMを支持して「理解ある白人」になって嬉しそうにしているデビッド・バーンとか糞やん。
ニューヨークで引きこもってプー太郎してひとんちに迷惑かけてた若者の、「あがり」の姿がコレですか。
LGBTに配慮してBLMに賛同して、みょうちきりんな政治的ポリシーを開陳してそれにトーキング・ヘッズの楽曲を使うとか、デビュー当時のファンからしたら「腸煮えくり返りました」よ本当に。
もうすべてがしゃらくさい。
おまえこんなこと言いつつ2012年まではアメリカの市民権取ってなかったし、今だってイギリスとの二重国籍だし。
そんな人が「投票にいきましょう」とかばっかじゃねえの。
そんなのはアメリカ単一国籍になってから言いなよ。
ラストシーンの自転車で去っていく姿も見てて「腸が以下同文」よ。
美しい、慰めだった音楽の思い出も、たったひとりのエゴのために汚されて。
彼の政治的な主張の道具にされる、ポリコレの棒に利用されるその悲しみ。
誰か!この舞台を見てどう思うのか、ティナとかジェリーにインタビューしてきて!お願い!!