山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

61回目のお誕生日

さて、61回目のお誕生日でございます。

でもまあ、特別何をやるってわけでもなく。普通に銀行に行ったり日常の買い物をしたりして過ごしております。

 

スーパーの駐車場で思い出したので、特養ホームに入ってる両親に電話しました。

実家の父はワシと誕生日が同じですので、毎年、「お誕生日おめでとうございます」「はいはい、あーたもね」という会話を交わすのが恒例です。

 

父は相変わらずしゃんとしてまして、「熱中症が怖いから家にも帰ってない」(春先は毎日往復4キロ、ホームから自宅まで歩いて帰って、温泉や囲碁会場に通っていた)などと申します。

「まだ暑いからね、もう少し涼しくなったらまたやる気も出るよ」

などと言って、電話は母にチェンジ。

 

母はパーキンソン病が進行してて、日がな一日寝て過ごしているそうで。

やはり認知症が進行してて、流石にワシは覚えてましたけど、「孫ちゃんは男だっけ女だっけ」などと申します。

「小学2年生の男の子だよ、とても元気な子だよ」と教えると、

「えーー。そんな年になったのかい」などと申します。

 

初号機の妊娠が発覚したときに、「絶対おろせ」とやんやんワシに言い募ってきては、「私なら娘がそんな事したら絶対許さない、一生許さない」なんて言ってたのにね'`,、('∀`) '`,、

もしもあの時、ワシの心が弱くて、向こうの親御さんと親戚に弁護士事務所に半日監禁されて脅迫恫喝された時や、実母が「お前も絶対に許さない死ねばいいのに」と言い放ったときにですよ。

ワシが周りの皆さんに気を使って、「え??じゃあ、赤ん坊はおろします、ワシは死んでお詫びをしますね」とかいう行為に走る女じゃなくて本当に良かったですねw

 

恫喝や脅迫には屈しない。赤ん坊の命はワシの命と引換えにでも守ってみせる。

ワシが生きていることにもし意味があるなら、それはこの清い、美しい命を身を挺して守ることだとその時に気がついて本当に良かったですよε-(´∀`*)ホッ

 

ワシも生きてて、初号機も幸せな結婚生活を送ってて、子育てに奮闘している。

コレ以上何を望むというのか。

向こうの親御さんとかワシの人生にも、なんなら初号機の人生にも関係ないじゃないですか。

そんな人生に関係ない人になんで気を使って顔色をうかがってまで生きねばならないのか( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

ワシにとって孫Pや初号機を失うことは、ワシが生きるのに値しないことにイコールなんですよ。

あの時、意地を張り通してよかったなと思うばかりの誕生日でありました。

鬼のような親戚とか毒でしかない母親とか、意味はないんですよ、本当に自分の人生を生きようとする時には。