山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

告知

どうも実家の母の具合がココ数日で格段に悪くなったとの知らせが届きましたので、今週の休み(15日)ちょっと熊本に帰ってきます。

ので、ここのブログも15日は更新がありません。

 

父が母の介護でもうぎりぎりっぽいので、老人介護付き施設に入所することになりまして。

実弟も東京から駆けつけてきてくれるそうなので、一緒に引越し先を見てきますね。

なんでも入所するのが、学研がやっている介護サービス付きの高齢者向け住宅だそうで。

「学研、そんな事もやってんだ…ゆりかごから墓場まで…」

夫婦で一緒に入れるお部屋を予約しているそうで。ワシはただ、その引越し先を一緒に見に行くだけです。

しかもこの学研の施設、日本中にあるので、様々な事情で移転したくなった時はそれにも対応してくれるとか。

 

…まあ、うちの両親はお金は持っているから良いんじゃないでしょうかね。

ワシが遠くから「また転んでやしないか」「父はお世話で疲れ果ててないだろうか」と気をもまないで済むだけでもありがたいです。

誰かの目があって、老夫婦を見ててくれる。

ソレだけで、ワシが安心ですもん。

 

いやしかしまあ…実家の両親はここ20年ほど二世帯住宅に住んでたんですけどね。

建築途中で弟一家が東京に転勤になってしまい。

そのまま東京→大阪→東京と弟が転勤したので、結局は二世帯住宅としては一度として使われることのないまま、住人であった老夫婦もこの家から去っていくとなると。

なんとまあ、寂しい二世帯住宅であることか。運が悪いというか間が悪い気の毒な家でしたね。

まあ、おそらくはあの二世帯住宅はそのまま残しておくんでしょうけど。

 

そもそもこの家は両親が初めて買った家で。

昔は周囲に家もなくて、阿蘇の裾野の原野が広がっているような荒涼とした風景の中に、赤い屋根の平屋がぽつんと一軒だけあって、最初は電気もなくてw

実家の父が自分で電柱を買って、人を雇って電線を引いて来た家があった場所なんですよ。

ワシは7歳から18歳までここで過ごしましたが、今の二世帯住宅は建て替えたあとの家なんで、なんの思い入れもないんですな。

 

今は新興住宅地として家も立て込んでて、昔の原野の風景は微塵も残ってないのですが。

「実家はどこ?」と聞かれたら、「大阿蘇が見える原野の中の一軒家よ」と答えますね、やっぱり(;^ω^)