山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

金栗四三の教育?

今年のNHK大河ドラマが「いだてん」という熊本は、玉名が生んだ名ランナー金栗四三の物語らしいので、NHKでやたらと特集されてますな。
ワシの父が、熊本は玉名地方の出身だったので、金栗四三の話は子供の頃から父から聞いて知ってました。
金栗四三は旧春富村の生まれ父はその隣村の生まれ。春富村には父方の親戚も居て、非常に親しい印象だったんでしょうね。
「足袋を履いて走ったマラソンランナー」「明治時代にオリンピック選手としてスウェーデンに行った」などなどを折に触れては聞かされて育ったんですけどね。
今は金栗四三の生まれた村も、父が生まれた村も合併されて、同じ町になっております。
温泉と装飾古墳と和仁一族の田中城があって、紅毛碧眼の戦国武将「人鬼(じんき)」と呼ばれた和仁親宗の伝説が残る里です。

【 人鬼と呼ばれ… 】肥後に生まれた紅毛碧眼武者、和仁三兄弟の悲話

昨日もそんな新しい大河ドラマの宣伝番組をぼんやりと見ておりましたら。
それまでは日本には「マラソン」というか「スポーツとしての長距離走」という概念すらなかったので、金栗四三がいろいろ苦労しながらランニングのスタイルや走法を工夫して実践していった_みたいな話をしてたんですね。
金栗四三は子供時代に学校に通うのに、長距離を毎日走って通ううちに「韋駄天」と呼ばれるほどの脚力を身に着けていった_みたいな話でした。

そこで思い出したんですけど。
以前、大分は国東半島にある江戸時代の学者「三浦梅園」の資料館を見に行ったことがあるんですけど。
そこで展示してあった梅園の評伝に、「慕っている学者に教えを請うために子供時代の梅園は毎日山の中を数十キロ走って往復していた」というのがあって驚倒したんですけど。
…昔の日本人、すごいですよ…身体の頑健さとその根性。

そんな環境が、明治頃までは「日本の普通」だったんでしょうね。

で。金栗四三が編み出した?ランニング中の呼吸法の話をテレビで紹介してまして。
そこでワシは「ひえっ」と叫んでしまったんですね。
金栗四三の編み出した「疲れない長距離走の呼吸法」は「二度吸って二度吐く」を繰り返すってものだったんですけど。
これって小学生の頃、学校でマラソン大会のときに指導された呼吸法だったんですよw
金栗四三、恐るべし(いつの間にか熊本人の血肉になっている)