山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

まだまだちょっとだけオルタナの話

色々とその後、映画「フリクリ オルタナ」のレビューとか色々読んだんですけど、一番肝心なことに言及してる人が居なかったので、ワシがここでちゃんと書いてきますね。
ネタバレも含んでいるかも?なのでネタバレが嫌な人は読まないでプリーズ。
ていうか、ネタバレもクソもない映画ですがw

…さて。

この映画、なんかぐっちゃぐちゃになった後、何事もなかったかのようにいつも繰り返される日常が戻ってくるってシーンがラストなんですけど。
その中で仲良しグループは4人だったのが3人になってて。
でも何事もなかったかのように、3人はひとり居ない「ペッツ」という女の子の存在をガン無視しているんですね。

そして、劇中、主人公は最初から「カナブン」とあだ名で呼ばれているのですが、そのあだ名こそ、親友の「ペッツ」が主人公に小学生の頃につけてくれたあだ名なのに。
このラストシーンでは誰も主人公のことを「カナブン」と呼ばないんですね。
普通に「カナ」と名前で呼ぶのです。

つまりこの物語は2時間以上かけて、薄っぺらい女の子の友情を延々と描いたかと思ったら、突然ラストで主人公の驚異的なパワーにより、、「最初からペッツが存在しない世界線に乗り換えられてしまったってわけなんですよ(時空を捻じ曲げてまで)
喧嘩別れしたペッツの存在を消し去ってしまうってラストにワシは驚愕したのです。

「いつかまたどこかで二人が巡り会えて、その時は色々なわだかまりも消えてしまってて、笑いあえたなら素敵かもね」
とぼんやりと映画を見てたワシはびっくりしてしまったんですねw
「鼻から消しちゃうんかい!それってほぼ殺人じゃないですかーw」とね。

すごいよ、女子高生が女子高生を殺しちゃう話なんですよこれってw

※色々とSF作品には主人公が驚異的な能力を発揮して、世界線を乗り換えるって話が多々ありますが。
その場合、「自己犠牲」が常にセットになっていることが多い気がします。
つまり「この生命と引き換えに自分の大切なものを助けて」ってストーリーですよ。
それとこの「フリクリ オルタナ」は大いに違っている。

「大事なのは自分」「他人なんか知ったコッチャねえ」「他人なんか私の踏み台」ってのがこの映画の本筋なのが、実に、本当に不愉快なんですな(それはファッションショーのシーンでも顕著)