山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

大刀洗平和記念館に行く

以前から一度行ってみたかった「大刀洗(たちあらい)平和記念館」に行ってきました。
…思えば、大刀洗…大分に行く途中で何度も通り過ぎることはあっても高速を降りて足を踏み入れたことのない未踏の地…
まるで地理に不案内なんで行けるかどうかわかりませんでしたがw
すごいや、Googleマップ。道に迷いながらもなんとか到着いたしました。
(帰り道で判明したこと=筑紫野の「ゆめタウン」で左折したら一直線に行ける場所でしたw)

ここにはゼロ戦と九七式戦闘機が展示されております。
ゼロ戦サイパンの海中からサルベージされ、福岡の民間団体が持っていたのを寄付されたもの。
九七式戦闘機は博多湾からサルベージされたものだそうです。

行ってみて衝撃だったのは、旧・大刀洗町(現・筑前町)には当時「東洋一」と言われた陸軍飛行学校と飛行場があり、今からは考えられないほど町が栄えてて活気があったんですね。
今は住宅と畑しかありません(飛行場跡地はキリンビールの工場になってます)
ところがこれだけ反映してた町が第二次世界大戦末期の1945年3月27日。B-29による空襲で壊滅します。

この時には小学校の子どもたちはちょうど終業式の最中に空襲警報が鳴ったので、一度は飛行場へ避難しますが「ココは危険だ」と言われ、「頓田の森」に逃げ込んだものの、そこでB-29による爆撃に直撃され子どもたち24名が即死するという痛ましい事件が起きます。
命が助かった子どもたちも病院へは運ばれたものの、7名がなくなりました。

B-29による爆撃は苛烈を極め、当時のアメリカで保有する爆撃機の3分の2を投入しての作戦だったそうです。
しかも大刀洗への空襲は3月31日にも繰り返され、甚大な被害が出る事になります。

そして、この大刀洗平和記念館にはゼロ戦に乗ってて亡くなった人の遺品や写真、「頓田の森」で爆撃を受けて亡くなった小学生の子どもたちの写真などが展示してあるのですが。

一部、B-29の添乗員の写真も同じ場所に展示されています。
「なんでだろう?」と掲げられた写真に添えてある文面を読むと。
1945年4月18日大刀洗に4度目のB-29による爆撃があった時に、「屠龍」(二式複座戦闘機)が体当りして墜落させるという事があったんですね。

つまり、この展示されているアメリカ人兵士たちはその墜落して全員死亡したB-29の搭乗員たち…
「屠龍」でB-29に特攻した山本少尉はパラシュートで脱出しますが久留米の病院でなくなります。
享年23歳。

戦争がまさに血で血を洗う残酷なものであるかが、ここの展示を見ているとよくわかります。
失われた御霊に「安らかに」と祈る場所でもありました。
死者への鎮魂の記念館です。

是非、一度足をお運びください。

ワシが入館した時は他にお客さんは二人しか居なかったんですけどw
出るときに入れ違いに長崎からの修学旅行の中学生がバスを連ねてやってきてました。
確かに、子どもたちには是非とも見てもらいたい、昔の日本人の面影を色濃く残す施設です。

ゼロ戦の上にB-29の原寸大の大きさでワイアーが張られているのですが、その大きさに驚愕します。
確かにコレに勝つには体当たりしか無さそうです。
「屠龍」まさに「龍を屠(ほふ)るもの」でした。