山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

山本三男三郎少尉のこと

ちょっとしたきっかけで昨日は山本三男三郎(みおさぶろう)少尉のことを思い出していました。
詳しい話はこちらにて↓(当ブログ)

大刀洗平和記念館に行く

このブログ↑には書いておりませんが、この山本三男三郎少尉と言うお方。北海道は美幌町の方だそうで。
旧制佐渡中学校を卒業した後に、お姉さんの嫁ぎ先である松山に渡り、松山高等商業学校(現松山大学)に入学。同十七年卒業した後は北海道人造石油会社に入社したものの一ヶ月後に招集されたそうです。
その後、大刀洗(たちあらい)陸軍飛行学校に入学し。卒業後は第一期回天制空隊長に任命され、本土防衛をなさってたお方です。

昭和20年、大刀洗に当時あった陸軍の飛行場と山本少尉の母校である飛行学校がアメリカ軍の空襲を受けた際、山本少尉は福岡市東区雁ノ巣にあった飛行場から屠龍(とりゅう=二式複座戦闘機)にて出撃。
激しい空中戦の末に全弾撃ち尽くし、B-29に上から屠龍で体当りしB-29は墜落、B-29の乗務員11名全員死亡。山本少尉もパラシュートにて脱出するも降下する途中で敵機の銃撃を受けて(折れた操縦桿を握りしめたまま不時着したという話もある)、その後、病院で亡くなるという久留米あたりでは有名だったらしい戦時中のエピソードがある人物です。

ワシは知らなかったのですが、山本少尉は救出された時まだ息があって、B-29を撃ち落としたと聞かされて「山本の勝利!勝利!!」と叫んだそうで…
昔の日本人の強靭さに驚きます。

昭和19年には同じ福岡県にある北九州の八幡でも空襲を受けた際に屠龍がB-29に体当たり攻撃をし、2機同時に落とすという事があったらしいので…この「屠龍による体当たり攻撃」はもしかしたら普通の作戦だったのかもしれませんね。
もう一つの「特攻」として覚えておいていい話だと思います。

※余談ですが大刀洗で落とされたB-29には11人の乗組員が乗り込んでいましたが、うち一人は若い女性でした(通信士)
遺体を見た地域の住民は大変なショックを受けたとか。
この11人のアメリカ軍兵士たちも、大刀洗平和祈念館にて、空襲で亡くなった方々と同じ鎮魂の部屋にて写真を展示されております