山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「婚期」

お休みの日は「録画した映画消化の日」であります。
この日のお題は「婚期」(1961年 吉村公三郎監督)
お話はこんな感じです↓

椿山荘を経営する一家の物語。
長男(船越英二)は妻(京マチ子)との生活に心が休まらなくて家を敬遠しがち。「忙しい忙しい」を口癖にして愛人こさえてそこに入り浸りです。
彼には3人の姉妹が有り、長女(高峰三枝子)は結婚に失敗した後デザイナーとして独立し東京タワーの見えるアパルトマンに住んで、大人の恋愛も楽しんでいる。
次女(若尾文子)はお習字の先生をしながら実家に寄生。
三女(野添ひとみ)もアプレな劇団員として自由恋愛やら楽しみながら実家に寄生。
つまり、長男の妻には小姑が二人もいるわけですね。
この次女と三女が結託して義理の姉(長男の嫁)をいびり倒すんですな。これがすさまじい。
大学生の次男もいるにはいるのですが、コレがボンクラでノータリンのビッチに入れあげている。この家の裏方を長男の嫁とともに一手に引き受けている「ばあや」(北林谷栄=「かんたぁ〜〜」「メイちゃぁ〜〜ん」)は苦労の連続です。
この行き遅れの次女と三女になんとか結婚して家を出て行ってもらいたいと長男の嫁は手を尽くすのですが…


脚本が凄まじくてw
「女とは度し難いいきものだ」というのをここまで体現しているものは他では見たことがないかもw
脚本の水木洋子はこの作品において快刀乱麻のバッサバサで色んな物を切りまくるんですな。まるで男と結婚に恨みでもあるかのように(水木洋子の前夫は後の八千草薫の夫君)

極め付きのセリフがコレ↓

「だいたい結婚なんてね、ただの女中に行くようなもんなんだから。女中の方が公休日はあるし、給料もらえるし、お仕着せの多少はでるし、ずっと気が利いてるわよ。セックスの道具だったら、パン助より割が悪いわ。只だもの! ね、そうでしょ? よしなさいよ。バカらしいったら。基本的人権からいったって、そんな踏みつけた話ないでしょ? あーあ、どうしてみんな結婚したがるのかしら。あたしには不思議で仕方ないわ」

あまりに毎日過酷ないじめに遭うので長男の嫁は独立した女性である長女に相談に行くシーンで語られるセリフですよ。
高峰三枝子京マチ子に向かってこのセリフを言うw
このシーンだけでも見る価値がある映画です。

このまるでパリみたいに見えるおしゃれなアパルトマン(過大評価)でエッフェル塔みたいに見える東京タワーを近くに見ながら(いや、実際には室内シーンだから見てないんだけど)こんなセリフが語られるんですよ。
「おお、女性の新時代が*・゚゚・*:.。..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゚゚・*きたわぁ」な気持ちになれますよ。

確かに大映という会社はこのあたりが非常にはっきりしているというか。
「社会に楯突く女性の存在」が常に作品の根底に流れている気がしますね。
溝口健二作品でも「ただでつまんない男にくれてやるくらいならセックスを売り物にしちゃいなよ」という過激な思想を日本国民に吹き込ませた会社なだけは有ります。

良いか悪いかは置いといて。目覚ましいことでは有りますね(^_^;)


お見合い相手の母親の人品を確かめるためにイタ電しまくる次女と三女
ソレに呆れる長男の嫁の図