山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

弐号機の手の凄さ

そういえば、弐号機は二学期も書道で良い賞ををもらってたですわね…
書道なんか習ったこともない。
小学校の授業でしかやったこと無いくせに(しかも普段は超悪筆)
何故か全国的な書道コンクールで銀賞をいただきまして。
「筆の町」熊野町から大きな賞状をいただきました。

だからってって「書道を本格的に習いましょう!!」てならないのが我が家w

「まー、書道のセンスがいいのは昔からだったもんねー」で、オワリ。
話がそれ以上に広がりませんw
ワシは弐号機は「線のセンスがいい」と、彼女が1歳の頃から気がついてましたけどね。

「人の手の動き」というのは不思議なもので。
その動きは「ほぼ先天性」という気がします。
引いた線一つでセンスの良い悪いが見えてくるんですよ。
(「上手・下手」じゃなくて、「センスが伺える線」という意味)

その「センスのいい動きをする手を持っているか持ってないか?」で絵の説得力が違うと言う気がします。
(「ウマイ」ではなく)いい絵を描くには「(ものを見極める)いい目」と「(それを抽出して具現化出来る線が描ける)いい手」を持っていることだと思います。
勿論、絵は描けば描くだけ上達します。
センスがない人であっても、ある程度は上手になれます(肉体的な鍛錬で)

でも、最終的に、説得力のある、その人の人格が伺えるような。
ユーモアのある、性的な魅力がある、独特の魅力ある線というのはもはや「生まれ持ったもの」でしか得られないと思うのです。

ワシも、高校〜大学と美術系でしたが、なかなか、ここまでの手を持っている人はお見かけしませんでしたね(ワシも含めてw)
ところが、弐号機は。

ぎょっとするほど、天性のセンスの良さを持っているのです。
本人が自覚しているかどうか…不明ですが。
朗らかなユーモアのあふれる、のびのびとしたダイナミックな線を易々と描いてみせるので、親であるワシですらぎょっとする瞬間があります。

多分。
読書感想画や書道のコンクールの審査員もそこに目が行ったんでしょうな。
お目が高いっ<単なる親ばかw