山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ヴォーカリスト、「山中さわお」について

書き忘れていたけど(<最近、このネタが多過ぎ)、「THE THIRD EYE Tour」の中継で一番笑ったのは、やはり山中さわおのMCだった。
演奏が始まって、一時間ほど経った頃、突然、
「この会場には僕たちと同世代の人、下の世代の人、下の下の世代の人、色んな世代の人たちが来てくれています。この普段だったら出会う事も無い筈の人たちが、一つの音楽を通して、こうやって今日、この会場で出会ったのです!こんばんは、ザ・ピロウズです!!」

もう、演奏が始まって一時間経っているのに、今、挨拶?(^^;;
「やっている本人にも自覚があるんだなあ」(=客層がバランバラン&全く何かのカテゴリーでくくる事が出来ない<でも、ノリは同じ)
でもみんな、ピロウズの音楽が大好きで、この人生をやり抜くために、この音楽を必要としている、この音楽によって救われた人たち。

ピロウズのベスト盤のCD帯に「宗教では無く、思想では無く」と印刷されていたが、まさにその通り。
ここにあるのは純粋な「音楽」
生きる事と同意義なくらい、呼吸する事が絶対必要なのと同じくらいに必要とされる「音楽」

このShibuya-AXの千人の観客が声を揃えて歌うシーンはまさに圧巻。
人種も世代も超えて愛される、美しい力強い純粋な音楽。まさにそれが、今、ココにあるのだという事を教えてくれる。
去年のUSツアーのDVDを見た時にも感じたのだが、その音楽が見せてくれる美しい夢、時間、そんなものがちゃんとこの地上にも実在するのだと、ピロウズは教えてくれる。

夫がこのZeppツアーでのピロウズがカバーしたミスチルの「つよがり」を聴いて、こうワシに言った。
「なんでこんなに胸に迫るものがあるんだろう?ミスチルが歌ってても全然ry」

誤解を恐れずに言うならば、山中さわおと言う人は正直「全く歌が巧い人ではない」んだが。
物凄い切実さと誠実さと純粋さとでもって、観客を「自分vs自分」の世界に引き込んでしまうのだ。
「その力量たるや、ビヨークに匹敵するくらいよ」と、ワシ、証言する。

ビヨークの場合は、彼女の声の波長の先端が、観客の脳髄に突き刺さってて、大脳皮質が揺さぶられるー!!って感じだったが。
山中さわおの場合は、歌っている彼と観客一人一人の距離が消え去り、いつの間にか目の前に迫ってきて、「まさにメンチ切っている状態」つーか。
自分の心の深い場所と彼の心の深い場所が実は似ているという事を教えられるのだ。