山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

オチはついたのか?

つまり、何を言いたいのか?と言うと、この前、20数年前に見た映画「フリークス」
を見に出かけた時の事を書いた日記でも触れたけど。
つまり、ちょっと昔までは「映画を見る」とか「ライブを見る」って事が、
「体験型の出来事だった」ような気がするって事ですな。

勿論、今だってソレは変わらない部分はあると思うんだけど、今、ライブで
人が死ぬ事って殆どアリエナイよね?
(あったら勿論大変なんだが、昔は時々_不幸にしてそんな事も起きた事があった)
苦労して幻の映画をわざわざお金払って遠くまで見に出かけるなんて事も殆ど無い
(アリエナイ)し。

なんだろう?つまり一つの経験が、単なる経験ではなくて、もっと通過儀礼的に「体験する」
ってモノだったような_そんな意味合いがあったような気がするのよ。

いや、ソレが幸か不幸かって事じゃなくて。
勿論、今の時代の方が、家に居ながらにして昔のドラマやバラエティなんか、
「あれ?アレをちょっと見てみたいな」って思ったらスグに見る事が出来るし、
ピロウズのUSツアーの様子が知りたい」とか思ったら、ちょっと調べてみれば
スグに答えが判っちゃう。
凄い時代ですよ>今。豊かですよ。断然。

でもなんでしょう?
目の前の四角い箱越しに覗き見る世界と、実際にその場所に出かけたり、
自分の力で探し出すってのは同じ事でも全然意味合いが違っちゃうものであると思うわけで、
お手軽に得られる体験と、滅多に得る事が出来ない体験をするのとでは、
同じ体験でも重さが違うというか。
えーい、自分でも上手く書けないんだけど、それは多分、自分自身が若くて感受性が
センシティブだったという事を差し引いて考えてみても_だ。

30年近くたった今でも未だに忘れられないのは、強烈な印象として残っているのは、
ジャンボジェットの爆音に包まれながら、その巨大な腹を見上げて聞いたフリクション
ギターの爆音。
ドラム缶で焼かれる薪の匂い。

コンサート会場を埋めるハードコアパンクス。
直立した30センチはあろうかというトゲトゲの髪の毛。
拘束衣を着た少年。ガーゼの長いシャツ。
観客にぶん殴られて服を脱がされる遠藤ミチロウ
ブタの血を浴びてハンドマイクで絶叫するその姿。

真っ黒なステージに向かって立ち上る観客の頭から上がる水蒸気。
投げられる花火の火薬の匂い。

そんな経験が実の所ワタシの今の血肉になっているというこの事実。