山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

勝手に増村保造レトロスペクティブ開催中

昨日、ダンナが駄菓子屋で買った、セメダインをストローの先に詰めて、風船状に膨らまして遊ぶモノ。
せちたろーは夕べ練習して上手に膨らませられるようになったが、子鬼はダメ。
あらかじめ少し膨らませてやってから、手渡して子鬼自身に続きを膨らませるようにして遊ぶ。

すると、ナントしたことか。
繰り返すウチに、セメダインの匂いに酔ったらしく、ワシったら気持ちが悪くなって目眩がして来た。
「わ、ダメダ」と横になる。
化学溶剤系にヨワイのだった(ダンナはプラモを作るせいか、平気)

日曜日だけど、ダンナは仕事なので「一人で勝手に懐かし映画劇場?増村保造レトロスペクティブ」を開催。
窓を閉めてクーラーつけて準備万端。

『濡れた二人』(若尾文子北大路欣也増村保造監督/1968年)
いわゆる「不倫モノ」だが、なんせ不倫の相手が「伊豆の漁師」。
青年実業家とかスポーツインストラクター、ハンサムな大学生じゃなくて、「漁師」!
文子タンは満たされぬ結婚生活に不満を持ち、旅行で訪れた伊豆で「潮騒」(三島由紀夫)風な(?)漁師と恋に落ちる・・・のだが、この「恋の落ち方」がハンパではないのと、強烈な意志で登場人物が動くのでめまぐるしいったらありゃしない。

前半は「愛の神話」的牧歌的で情熱的、後半は何故か映画的お約束事に冷や水をかけるようなイタリアンリアリズム。
「一つの映画で二度美味しい」という気分。
不倫映画で女性の自立を描くなんざあ、やはりマエストロ増村のお手前は、お見事!

引き続き、『遊び』(高橋(関根)惠子主演・増村保造監督/1971年)
心中天網島」が原作と知っていたので、てっきり「悲恋モノ」と思いこんで見始めたら、あまりの心地イイ裏切られ方にサッパリ&イイ気分になってしまう。
エストロ増村はそのデビュー作、『くちづけ』から一貫して「若さとはナニか?」を追求し続けてきたが、この48作目の『遊び』にてその世界は完成型を見る。

若いとは恥ずかしくて臆面もなくて純粋で無茶苦茶で情熱があって、エネルギーがあって・・・と監督は語る。
しかも、ソレを「美しい」と言ってくれるのだ。
なんか、臆面もなく感動してしまい、「終わり」と画面に出たときは「あ、コレで終わりなんだ!」と思わず顔が笑ってしまった。

まさに、この世界。若いってカンジ。
奇しくも某コメンテーターさんが「この映画はエレカシに似ている」と言ったけど、御意!