山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

家族でウロウロ

台風の影響で小雨交じりの強風が吹きすさぶ。
ボイスと散歩。
ゴアテックスの散歩用帽子が飛ばされそうになるので、抑えたまま散歩。
風があって涼しいせいか、ボイスも快調に歩く。
雲がモノスゴイ早さで流れて去ってゆく。

「今日はお休みの日なので、いつもとは違うことをしよう」と家族に提案。
珍しく一家で買い物に出かける。
ユニクロで夏の散歩用トレーニングウエアを購入。
「予算を三千円」と組んでいたのに、ポイント制度が替わったオカゲで(以前は一年間で30ポイント=¥5000だったが、7/1から15ポイント=¥2500になったらしい)現金¥300円だけで買い物が出来た。

しかし、あのユニクロの新シリーズ、ロボットTシャツは気味が悪いな。
誰がアノデザインで「イイ!」と言ったのだ。
ワシなら現代美術の作家に依頼する。
ユニクロスーパーフラットな感覚に、自分の作品が使われて、消費されてゆくことに賛同する作家は多数居るはずだ。

この「国民の制服」(老いも若きも金持ちも貧乏人も平等に着ている)に現代美術が合体され消費されてゆくならば、ソレはたとえ一夏のことであっても、画期的な国民を巻き込んだムーヴメントとして残されるはずである。
と勝手に妄想してみる。
しかし、このロボットはあまりにもセンス悪すぎ。
死んだ魚のような見開いた目がキョワイ。

ダイエーでお買い物。
ダンナに金魚模様のアロハ。ワシは帆布製トートバッグとお財布が入るだけのレース編みベトナム製ハンドバッグを購入。
350円のビーズをテグスで繋いだだけのネックレスも購入。
「タイム・レンジャー・ショー」をやっていたので、子鬼に見せる。
子鬼、「タイム・レッド、カッコイカッタ!」と喜ぶ。

図書館に立ち寄って本を借りる。ジャン・ジャック・ルソーの「告白録」
実は中学生の時、この本が一番好きだった(変な厨房だな)
しかも、近年、自分がこの小説を通して、モノの見方の基準が成立していた事を再認識することが多いので、再読しようと思った次第。
自然派文学の始祖にして私小説というスタイルの発明。
19世紀以降、この様式が小説の主流となる、そんな本。

西新商店街にてかき氷と饅頭。
ビデオを借り(増村保造=「遊び」「濡れた二人」&溝口健二「祇園囃子」チャウ・シンチーのスパイコメディ「0061」)て、黒いタピオカ入りミルクティーを飲む。