山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

午前中は特撮・午後は18世紀ロマン

ギンギンのお天気。
「今日も一日、暑そうだなあ」と朝から憂鬱になってしまう。
夕べの野菜スープを冷たく冷蔵庫で冷やしてオイタモノを「ヴィシソワーズ風」にして頂く。
ピーマン赤&緑、カボチャ、タマネギ、ベーコンが入っているのだが、ミルクとすりつぶした豆腐でとろみがつけてある。
生クリームよりサッパリ。気分は「豆乳ベースのスープ」。

子鬼を幼稚園に送ったらボイスの散歩。
久しぶりに登山コースに行く。
途中のミカン畑を抜けると、溜め池の周囲に植えられていた桜の木が、全部綺麗サッパリ無くなっていた。
日陰はなくなるし、来年から一足早い山桜のお花見が出来る場所が無くなってしまう。
寂しい。

むせかえる草いきれの中、ボイスとハアハア言いながら山を登る。
久しぶりのせいか?登る足が重い。
暑いと散歩の馬力も落ちる。

家に帰って風呂を溜め、庭の草取り。
金魚ちゃんズの為に火鉢の水を入れ替えて、ボイスの水を換え、ついでにシャワーにしてボイスの背中を冷やしてやる。
ボイス抵抗もせず、冷たい地下水のシャワーを浴びる。

午前中、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(水野久美主演・本多猪四郎監督/1966年)を観る。

脚本が相変わらず「アレ」だが、心底この特撮&セット撮影に感服する。
果たして今、コレだけのクォリティのあるモノが作れるのだろうか?潤沢な制作資金に恵まれたとしても?
一枚の画面としてのこの圧倒的な画力。
美しくドラマチックで繊細な仕事。
円谷プロ、渾身の一作である。
東宝怪獣映画は昔から脚本がアレであるのだから、新シリーズのゴジラの脚本にケチを付けるのは間違いであるのかも知れない。
「脚本がアレなのも伝統のウチ」って事?

午後はプールを待つ間、1720年代のスイスを彷徨っていた。
ルソーの告白録である。
昔読んで意味(事情)が分からなかったトコロがイロイロワカッテ面白い。
何故、改宗しようとするプロテスタントカソリックの関係者から大事にされるのか?(当時、スイスの大半はプロテスタントだった。隣国のイタリア、フランスはカソリックであるのに)
何故、伯爵夫人は薬草でクスリを作っていたのか?(父親が錬金術が趣味だったから)
やはり、今読んでも面白い小説(自伝だけど)である。
町の夕刻の閉門に間に合わず、城壁に閉め出され、放浪の旅に出る少年ジャン・ジャック(ルソー)
この18世紀ロマン小説を地で行く人生。