山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

昨日もビリー、今日もビリーに泣かされて

午前中、小学校で「6年生のお別れ会」
美人妻Jさんに遭う。
「せっちゃんの出番の写真、撮っておいたわよ」すんません(^^;

お昼は豪華に「地中海料理のビュッフェ」をホテルに食べに行く。
せちたろーは「ココのお料理、どれも美味しくて大好き♪」と言うので、「こんな贅沢はウチでは年に二回だけだよ」と釘を差す。

ダンナが「映画を観たら?」と言うので、一人で観に行く。
リトル・ダンサー
場内は、パイプ椅子を通路に出してまでの大入り(観客数は200位?)

この映画を観て思い出したのは、ブライアン・フェリィのお父さんのこと。
炭坑夫でありながら、苦労して息子を美術大学に進学させた人。
この映画のビリーの父親と姿が重なり、どれほどこの父子は愛し合っていたかと想いが及んで泣けた。

同性愛者もイイ感じで登場。
同じようなキャラクターが出てくるのに、「ガンモ」とはエライ違い。
(明るく、自然に描いてみせる。大人になった姿もご愛敬)

映画終了後、ケータイに電話を入れると、娘二人は昼寝チュウであった。
ダンナ、「疲れた?」と言う。

ダンナと、待ち合わせの本屋から駐車場への移動中に、路上でダイエットの広告を渡している人から、チラシを「どうぞ!要りませんか?」と、しつこく渡されかける。
断ったら、「え?ホントにいらないんですか?」と、もの凄く不思議そうな顔をしてワシを見るので、思わず路上で爆笑。
ダンナが(ワシの代わりに)憤慨。
「失礼な女だな!アンタには顔の整形が必要だよ」と言う。

ワシは「痩せてる=美人」と思ったことが一度もない。
痩せてて死ぬほどブス(性格も含めて)、しかも頭悪いという女は世間にあまたいる。

「美人」というのは総合的な印象でしかない、と思う。
性格、モノの考え方、立ち振る舞い、洋服のセンス。そーいったモノのトータルな印象で、「美人」は決まる。と、思う。
そりゃー突出的に目も覚めるような美人もタマにはいるけど、ソレを鼻にかけて何の努力もしないヤツは「ニンゲンとしてサイテー」
しかも、単純な「顔だけの美しさ」というのは、セイゼイ「持って2?3年」だし。

そーいや、ワシの友人は美女が多いが、みんな「ソレを人に悟られないようにしている」キャラクターが多い・・・
性格の方に気がとられて、美人かどうかなんて忘れている。
たまに関係のない人から「すごい美人が友だちなのね!」と言われて、「あ?」と思い出すくらい。