山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ついでだから「ブエノスアイレス」の話

「アンタ、ホントにウォン・カーウァイ好きだよね」とさもイヤそうにダンナがワシに言う(苦笑)
だって、ワシをウォン・カーウァイ好きにさせたのって、犯人はダンナよ?

もともと、「恋する惑星」も「天使の涙」も見た事はあるけれど、両方ともなんか、「感覚ダケの映画」って感じで全然ワシの心にはヒットしなかった映画で、「なんか、ハヤリモノって感じだけで、戴けないなあ」とボンヤリ思ってソレでオシマイな映画監督なだけだったのに。
ダンナが気まぐれで撮ってくれた(深夜のテレビでやってた)「ブエノスアイレス
http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=1292
をタマタマ観たのがハマルきっかけだったのだ。

ダンナは先にこの映画を観ていたので、
「どんな映画?」と聞くと、
ブエノスアイレスで中国人のホモのカップルが、『あーでもない』『こーじゃない』とウダウダ諍い合う映画」とゲンナリした表情で教えてくれた。

「でも、ま。映画なんて見てみなきゃワカランものだし」と軽い気持ちで見始めて、なんだかドップリはまってしまったのよ。
「なんだ、なんて出来のイイ『風と木の歌』なんだー!!」(感動)
(断っておくが、ワシはあのマンガがダイキライ。蛇蝎のごとく嫌っております。それは竹宮惠子の「作家としてのソコの浅さ」とか「表現の稚拙さ」「物語の貧しさ」が嫌いなんであって。それはココではまた別の話し)

つまり、「奔放なオカマに振り回されるダメ男」の話しでして>「ブエノスアイレス
まあ、コレがホモのカップルというのは実はどうでもいい部分ですな。
「あー、いるいる。こういうカップル。見た事ある!」みたいな、もっと普遍的な愛憎絡みの人間関係(つまり、「男女」に置き換えてみれば、「ありがちな話し」という部分を持っている映画なんです。いや、勿論、この「ありがち」ってのが実は大事なんだとオバサンになったワシは思う訳でして_コレもマタ別の話しだな)

実体のナイ、愛というものを手探りで探しているような映画でね>「ブエノスアイレス
ソレを象徴するものとして出てくるのが「イグアスの滝」なんだが。
主人公はこの滝のおみやげ(?)の回り灯ろうみたいなランプを持ってて、それが効果的に使われているのだ。
まだ自分は見た事も無い、この世の果てにある「永遠」だ。と人が言うその滝への思い。
この小道具一発で、ワシはこの監督の術中に堕ちた。