山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

空蝉の謎

朝、ボイスと散歩に行ったら山道の脇に生えている木の枝に、セミの抜け殻が留まっていた。
綺麗な若葉にしっかりと、六本の脚でしがみついている様子が可愛くて、枝ごと手折って持ち帰る。

せちたろーに、「おみやげ」と言って渡すと大喜び。
「キレイ!なんてキレイなの!スゴイ!!しっかり掴まったままの形で脱げてる。しかも葉っぱ付き!」
こんなモノでそこまで喜んで貰うと、母も嬉しいぞ。
(カネのかからない女になりそうだな。キミも)

しばらくは手に持って観察したり、日記にスケッチしたりしていたが、
「花瓶に生けて」というので、ワシ作の一輪挿しに生けてやると、
一輪挿しごと持って家の中をウロウロ歩き回りながら観察している。

「綺麗だ??綺麗だ??。空蝉(うつせみ)ってなんてはかなくてキレイなの」
と呟いている。

空蝉となっ!?

ワシ、思わずせちたろーに「セミの抜け殻って、空蝉って言うの!?」と訊く。
「うん、そー言うよ。本で読んだ」とせちたろー。

ワシは知らなかった。
そーか、そーだったのか!!

ワシってば源氏物語の空蝉は、てっきり人の名前と思っていたけれど、
アレって本名は出て来ないじゃないか、たったの一人さえ!
みんな仮の名、というかあだ名みたいなモノで呼ばれているじゃナイか。

だから、はかなく散って行く幸薄い女のイメージに沿わせて空蝉と名付けたのだ。
ハラホロヒレハレ
女、40を目前にして紫式部のネーミングの妙に感心する。

と言うことは、戸川純の「蛹(むし)の女」という歌も、
愛する人に忘れられ、はかなく消えてゆく可哀相な女性の歌だから、
この「空蝉」のイメージに重なる。

あ、そーかそーだったんだ!
なんか、子供のオカゲで色んな事に思いつかされる夏の午前中である。

せちたろー曰く。
「ねえねえ、ボイスって一日中、寝てる以外の時って笑ってるか甘えてるかのどっちかで、ものすごく可愛いよね」

ウン。確かにそのとーりだ。

ボイスはヒトに甘えるときは、甘える対象のヒトのつま先に腰掛けて
(コレが結構重いが、本犬はだっこされてるつもりになれるらしい)、
背中を押しつけ(これもグイグイ押しつけてくるのでバランスを崩しそうになる)、
笑った顔を向けて「さあ、どっからでも撫でて貰って結構ですぜ」と熱い視線を送る。

コレがそーとー可愛いんだな(親バカ)