すいません、昨日は一日遊び呆けておりまして日記の更新を失念しておりました。
失敬失敬。
んで。見てきましたよ「ルックバック」
まあコレが。
劇伴を除けば素晴らしい出来の映画でした。
非常に感心しながら、「これでアニメのチェンソーマンに引導を渡せたな 成仏できるな」と思いましたともー。
藤本タツキ先生の原作はもちろん読んでおりますし、例の斎藤環氏による一連の騒動の経緯もリアルタイムで見てましたのでよーーーく知っております。
それを知った上でなお、「なるほど、素晴らしい映画だわ(但し劇伴以外)」と思いましたよ。
なんでこんなにワシが劇伴をディスっているのかと言うとワシは昭和の御代にですね、すごく嫌ってたものがありまして。
それが「お涙頂戴」「難病もの」「演歌」だったんですね。
そのいやーーな記憶を呼び起こすような劇伴で、流れかけてた涙が速攻で逆流して目に戻っていったので自分でもビックリしましたよ。
…アニメの世界ではコレが常套ってことなのかもしれませんが。
監督がこんなことを許してはなりませぬ。
監督は作品の隅々にまで自分の世界の統率を行き渡らせねばならぬものだとワシは考えます。
だから極力、ノイズは取り除き、自分の構築した世界の統治者であらねばならないと。
当然、そこには自分の作品の力を信じる強い心と世界を統べるパワーを同時に持つはずなのですがこの「ルックバック」は…
まずは良いところから上げておきましょう。
とにかく、素晴らしい「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」
への見事な返歌であり、藤本タツキ先生の作品への理解度の高さに感心しました。
「鳥は鳥に 人は人に 絵描きは絵描きに 猫は猫に 人殺しは人殺しに」なるように生まれてくるんだなあという残酷な現実と、それを乗り越えるための力を信じる愛の物語であります。
だからこそ、あの作品の力自体を信じてないとしか思えないような劇伴の付け方は…
昭和の御代なら全国民の紅涙を振り絞らせたんだろうな…と思いましたが残念、今は2024年だわ。
監督自身が自分の力を信じ切ってないようにしか見えなくてとても残念な砂を噛むような思いでした。
ネタバレかもしれんけど、あの犯人のシーンは原作通りとなってて良かった。
斎藤環さんは漫画を読む力がもともとウスイ人なんだから、たとえなんか言われても放っておきゃよかったんですよ。言論は自由だから、表現も自由それに関する「お気持ちの表明」だって自由なんですよ。それはこのブログだって同じよ。
映画「ルックバック」はそこがとても良かったですね。
ポリコレなんて作品に対して百害あって一利なし。それを表明してた気もします。
イノセントな衝動を愛するものとしては、とても良いものを見せてもらいました(但し劇伴以外)
※劇伴は「温泉シャーク」がすごく格調高くて良かったですよ(エンディングの歌も含めてw)