山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「スラムダンク」

今週の水曜日のこと。

珍しく一家三人のお休みが重なったので、

「じゃあどっか出かけましょうか」という事になり。

「映画でも行く?」と最寄りのシネコンに「スラムダンク」を見に行きました。

 

スラムダンク」ワシはアニメを飛び飛びに見ているくらいで原作も読んだことがなくて。

ものすごく新鮮な気持ちで(゚∀゚)映画を見に行きましたよ。

 

で、映画館についてびっくり。

「あ。今日映画の日じゃったわね」(「なんでこんなに料金が安いの?」という券売機の前での弐号機の一言でやっと気がついた親子三人であった)

 

映画「スラムダンク」公開されてからもうだいぶたつ(二ヶ月?)のに結構大入り満員な映画館でしたよ。

んで、見ました。

 

「うわーー、井上雄彦、すげーーー!!天才やん」

今まで映画の演出をやったことにない人が拵えた映画とは全然思えませんでした。

クレバーでシャープな演出。

必要なものだけを語るその語り口。

激しいロックミュージックに載せて続いていく青春。

もうすべてが素晴らしくて、とても感動して映画館を出ましたね。

 

そこで思い出したのは、アニメ「チェンソーマン」の監督・片山龍の事でした。

放映前に、監督自らがでかい口散々叩いておいて、製作委員会や放送局を通さない、アニメ制作会社から発表される渾身の新作で。

全原作及びアニメファンに「どんな名作を作るんだ」と期待させておいての、原作の読み込みもリスペクトも足りないすっとこどっこいなバカ演出の連続で、膝カックンさせてきた「脱力の悪魔」ですよ。

あのひとを監督に抜擢したせいで、おそらくは「新しい才能を世に放つ」という行為の危険性ばかりがクローズアップされてしまい、これからアニメ業界では新しい才能の発掘が10年単位で遅れそうな気配すらしておりますよ。

 

そんな「映像作品を監督する」という行為の難しさ、チームとして意志を疎通させながら、よりよきものを一丸となって作り上げる作品のその道筋の困難さを思ってたところに映画「スラムダンク」を見てしまって。

「すげーな!漫画家、万能の悪魔かよ!!」と驚いちゃったわけですワシ及びオットも弐号機も。

 

アニメ「チェンソーマン」に関しては、「でも誰も責任取らないんでしょ?」な実に後味の悪い、砂を噛むような事件でしたけどね。

でもその対極の作品が現れてしまってたんですね、世界にはw

映画「スラムダンク

傷つき、悲しみに沈みながらも、輝きたい、生存を焚きたいと願う人達の物語でした。

八村塁が出たあとだからこそ描けた「スラムダンク」の未来。イイヨーイイヨーな映画でした。