山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

分岐の選び方

・実はあずきちゃんがまたふらりと出て行ってしまいまして。家の中が寂しくなっております。

でもまあ、ジンゴロウちゃんの親戚猫と思えば放浪癖は持って生まれた物。

ジンゴロウちゃんもその猫生において何度家出したことか…しかも最長は半年以上に渡りまして、ジンゴロウちゃんが裏山から「にゃっにゃっ」と小刻みに鳴きながら家に帰ってきたときは、

「生きとったんか、われえ!?」

と大声で叫んだほどです。

だからあずきちゃんもある日突然、ふらりと帰ってくるかもしれない。だから新しい猫も迎えずに暮らしているんですけどね。

家の中に猫がいないと寂しいもんですなあ…

家の中に猫がいない状態があまりない家庭なもんですから、猫シッター先で猫たちを抱っこしてぐりぐり撫で回しておりますw

 

・意外なことから「宙に浮いた年金」がある事が判明した我が家。

でもこんな簡単な手続きで本家年金と統合できて、ひとまとめにできるもんなんですね。初めて知りました(もっと調査とかあるのかと思ってた)

 

オットも「あのままあそこで働いてたらどんな人生だったんだろうね」と言っておりました。

おそらく、この家にもワシらは住んでないですね。子供もいたかどうか(諸事情により、ワシは子供が大嫌いだった若い頃 自分が子供生むなんて思わなかった)

※この家の設計者一家と我が家一家は1987年頃から1995年までほぼ一緒に暮らしてたんですね しかも知り合ったきっかけはオットが当時勤めてたデザイン会社に間借りしてた建築士の友達という経緯

そのデザイン会社でパーティがありその余興で「ニューヨーク旅行報告会」みたいな旅行中の写真をスライドで映してみんなであれやこれや話すという機会があり。

そこでワシは初めてK氏と話して、「あなた絶対うちの奥さんと話が合うから家に遊びに来てよ」と言われてうかうかと遊びにいったのがきっかけ。

そのおかげで、赤ちゃんというものに久しぶりに触れてワシの子供好き体質が爆誕してしまったのだった。

 

こんなちょっとした分岐で選んだ道で今のワシの人生があるわけで。

全く人生は油断もすきもありませぬ。

ということはK氏もワシの人生に大きな影響を与える人だったんだなあ(今更)