山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

父、東京へゆく

というわけで。父、意気揚々と東京へ行きました。

羽田まで実弟一家がお迎えに来てくれて、有楽町でランチしたようです↓

しかし、思えば…

こんな出来事も、母が亡くなったから出来ているんですよね。

 

すごく変な話なんであまり人に言ったことがないんですけど。

ワシの母という人は、家族が出かけるのをすごく嫌がる人で。

それ故に、たまに実家に帰ると実家に幽閉されてしまって、家から出られなくなるんですよね。

だからと言って、別に母が久しぶりに実家に帰ったワシを歓迎するってわけでもなく。

どうかすると「早く帰って」とか言い出すので油断なりませんw

なので、基本、実家に帰るのは3~4年おきくらいだったんですけど。

 

今回、母が亡くなったことで、ワシは実家に帰りやすくなったし、とりあえず、ワシにイケズ言うて精神的に苛んでくる人がいなくなったので、

「うわ、嬉しい」とか実は、本気で思っているんですよ。

それは長年に渡るワシと母の確執というか…

まあ、一方的に母はワシを嫌ってて、あまり子育てに向いている人ではなかったので。家事とか子供の世話とか「できるだけしたくない」って人だったんですね。

おそらくは、実質、ワシを育てたのは父であって、母ではなかった。そこが一番の大きな原因にも思えるのですが。

まあ「子供なんか世話したくない」と思って生きている人に強制は出来ませんしね。幸いなことにワシの父は子育てを全面的に引き受けてくれるような男で。

家で仕事をしながら片手間に(゚∀゚)赤ん坊の世話をしてたわけですよ。

 

なので、ワシは実質「お母さんというもの」を知らずに育ったわけでして。

なので、幼稚園とかに通いはじめると、ワシに優しくしてくれて抱っこしてくれる先生とかいるわけですよ。

するとワシは「もしかしたら世間で言うお母さんってこんな人なんじゃなかろうか」と思い至りまして、

先生に「お願いだから、先生、わたしのお母さんになって!」とかお願いするような子供になったわけですよ。

 

もともとは母の母(ワシから見て母方の祖母)がそういう人だったらしいのですが。

しかもいわゆる「搾取する親」で、黙って娘の貯金を盗んだり。まあ、一番のやらかしは朝鮮半島から戦後引き上げてくるときに8歳と11歳の女児二人っきりで日本に返したってことなんですけど(ワシ探偵は、実は祖母は遠回しに娘二人の死を願ってたのではないかと睨んでいる)

そういう人にそんなふうに育てられてはまともな人間に育つはずもないので、母の性格が問題だらけだったのは色々仕方ないかなとは思います…

 

でもその母がこの5月にぽっくりと亡くなったお陰で父は母から解放されて生き生きと自分自身の人生を楽しんでいる。父が楽しそうにしててワシはとても嬉しいです。喜びを感じます。