山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

父に電話をする

と、言うわけで。

明日の早朝、実家の父は推し活のために家を出て、一路、飛行機で東京を目指すのですが。

「それではお誕生日当日におめでとうが言えないじゃないか」って事で、電話しました。

 

「え、もう情報がそちらにも届いている??」と言う父。

なんだい、すべてを秘密裏にやってしまうつもりだったんかい(;^ω^)弟から全ては聞かせてもらってますがなw

「ナマのステージが見られるの楽しみでしょう?気をつけていってらっしゃいませ、ご安全に」とワシが言うと、父、相好を崩しつつ、

「もうね、遠足前の小学生みたいにワクワクドキドキが止まらんたーい」(゚∀゚)との事でしたw

 

すごいわね、音楽って、90歳の男性すら小学生男児に引き戻してしまって、胸をときめかせる力をもっているものなんですね。

なにはともあれ、父の旅行が楽しく、思い出深いものになりますように。

父の老後の胸に灯されたこのときめきの灯火を、いつまでも絶やさず燃やし続けていってもらいたいものです。

 

でも、まさか、父がここまで音楽好きだったとは。

もともと、映画も音楽も詳しくて造詣が深くて。

レクチャーを聞いていると面白くて、おそらく、ワシが今、映画を見たり音楽を聞いたりした後に、なんかしら言いたくなるのは多分、父の影響なんですよねw

戦前にはかなり有名だった音楽家の息子に生まれた父。

戦後はその父をなくし、農地開放で田畑も失ってそうとう苦労の連続だった上に、若くして肺結核になり、7年間に渡る療養生活を余儀なくされて。

まさに「悲運の人」であったわけですが。

その療養生活が配偶者をもたらし(母は国立療養所の看護師だった)、いつまでも錆びつかない初々しい新鮮な感受性を守ったままで養ってきたわけですから。

まあ、人間万事塞翁が馬ですね(;^ω^)

 

悲運だ、不幸だ、と騒いだところで、それが本当に運が悪いかなんてわからないものだなあとよく思います。

現実に父は若い頃、大病を経験し、大手術もしたせいで「そんな病歴があったら長生きできないのかも」「体が弱いのかも」なんて親戚たちからも心配されていたのに、90歳の今まで他に大病も患わず、持病もないままに、健康なままで元気いっぱいに明日東京へ旅立つんですから。

父の旅路に幸多かれと祈ります。