と、言うわけで。
モロッコ滞在中の友人宅に猫シッターに通う日々でございます。
今いるのは怯え猫のサニー、ライオンの如きメス猫クリーミー、唯一ワシに慣れている猫フラッフィーの3匹であります。
フラッフィーは高齢ゆえ、もう足腰もおぼつかなくなってて、目も見えてなくて。
なんとなくの気配だけで周囲を感知して暮らしております。
久しぶりにフラッフィーに会ったら、老化が一段と進んでて結構ショックを受けましたね。
目も白内障で真っ白になってて。
「フラッフィー」と名前を呼んで抱き上げると嬉しそうに喉を鳴らして甘えてきます。
一応、まだワシが誰なのか、わかってくれているようです。
フラッフィーは長毛故に、下半身がフェルトの分厚い毛布状態になっててそれをおぼつかない足取りでズルズルと引きずりながら暮らしてたので、思わず飼い主の許可を得ずにハサミでフェルト状に固まった毛玉(というにはあまりにも広大な範囲)をカットしまくりまして。
海外にいる飼い主に「毛玉がヒドイことになってたので切りました ブラッシングしたいけど、猫ブラシはどこ?」とメッセージを送るワシでした。
もっとフラッフィーをおひさまに当ててあげたい(猫は日にあたってビタミンを自分で作る体質なので、日に当てることがとても重要なのだ 当てる時間が少ないと「くる病」になってしまう ※友人宅は午後の少しの時間しか日が当たらない)し、フラッフィーの老後生活のQOLを上げてあげたいんだけど。
フラッフィーにとって一番暮らしよいのは長年住み慣れたこの我が家(友人宅)なんですよね。
一時期は本気でフラッフィーを自宅に連れて帰って世話をしてやろうかとも思いましたが。
弐号機からも「死期が近い猫は死に場所を探して家から出ちゃうから、うちで預かったらすぐに行方不明になって責任が取れないよ」と言われました。
そうなのよ、フラッフィーを日に当ててあげたい。人の手で日常的に抱っこしたり撫でたり、ブラッシングしてあげたいというのは単純にワシのエゴでもあるんですよね。
フラッフィーにとっての幸せがなんなのか。
静かに自宅で最後の日々を送ることが一番の幸せなんですよね。
一応気をつけてて、ブラッシングしたり、抱っこしたり、外気浴させたりしてお世話しております。
お母さんが家に帰ってくるその日まで、健康に過ごせるようにお世話しますよ。
※ほんの4年前のフラッフィー。この美貌を見てよ(オス)
※友人宅の玄関で花が腐れかけてたので家に持ち帰って切り戻して、花瓶にアルミホイルを敷いて活け替えました。
なんとこれも事後承諾w色々とワシ、ヒドイな(;^ω^)