というわけで、母は日曜日の午後3時過ぎになくなりまして(ワシが高速を降りようとしてた頃か)
月曜日がお通夜となります。
斎場ではお通夜を過ごすお座敷も準備され(この場所が「ここは山奥の高級温泉旅館か!?」みたいな建物で素敵なアプローチがある)、広い浴室もあって、お布団が5組あるので、お泊りもできます。
「じゃあ、お泊り組は父と弟、通夜の夜に東京から合流する弟嫁と弟長男、の4人でオッケーね」と決定(ワシが←なんでか)
ワシとオットはお通夜の夜は実家で寝ることに決定。
決まればあとは、お通夜用の座敷で家族全員お茶を飲みながらだらだらして時間を過ごします。
すると斎場の人が来て、「葬儀中に故人様をご紹介するコーナーがありますので、プロフィールなどを教えてください」と言うではないですか。
知ってる人は知ってますが、ワシの実母は友人もいません(他人を信用しないから)
趣味もないです。
何年か前に実母の看護学校時代の同級生が突然、ワシの実家を訪ねてきたことがありまして。
その時も母はほぼ相手しなくてですね(-_-;)
ワシがその方のお相手をして、延々話し相手になってたという_そんな事もございました(「今まで色々ご苦労はおありになられましたのに、今のお暮らしは本当にお幸せでらっしゃるんですね、娘さんや周りの方々もお優しい素敵な方たちで、こんな穏やかで幸せな暮らしがあるというのは、それまでの苦労が報われるという云々」みたいな話を黒柳徹子モードになってやりました)
なので一瞬、家族で顔を見合わせます。
「どうしよう、この場合、本当のことが言えない」という目配せです。
仕方ないのでワシが、「そうですね、三味線は十数年習ってました あと編み物や刺繍も好きでしたね」(三味線は1980年頃~1990年代半ば頃までやってたはず 編み物や刺繍はワシが幼稚園に入る前にやっているのを見たことがあるから嘘ではない)とさらっと答える。
本当は「お金がこの世で一番好き」で「家族すら信用してない」で、一般投資家として株取引が趣味だった人なんですけど…有り体に言えば「金の亡者」なんですよ(恥)
あまり母の人間的なことを掘り下げると、蠱毒が湧いてくるのでここは掘り下げてはいけません(世間がドンビキする)
「どうせ弔問客も来ないし、嘘じゃないからこの程度のことは良いやろ」とワシは思ったのですが、この程度でもその場をとり繕うというのは大事なことなんだと後々思い知ります(そのエピソードは葬儀当日に詳らかにされます)
夕方にお通夜用の御膳が出て、それからお坊さんの読経があるのですが。
ワシら一同、平服でお通夜に参加する気満々だったのですが、斎場の人が「お通夜のお着替えもこのお座敷でなさってください」などと言うので、
「しまったお通夜は喪服で参加しなきゃいけないのか」と思い知ったわけですよ。
父、弟、オット、ワシの4人で粛々と一旦実家に戻り「各個人、喪服の準備は自分の責任でちゃんとするように、靴やベルトも忘れないで」と言い合いながら喪服を準備しました。