山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「シン・ウルトラマン」

話題の映画「シン・ウルトラマン」を見てきました。

その感想とか色々書いておきます。

以下、全くの個人的感想です。

 

まず、思ったのは「人間、美容整形すると鼻の穴の形が左右で違ってきちゃうんだな」

でありました。

登場人物のある人が、あまりにも左右で鼻の穴の形が違ってて、それが気になって気になって、滑舌も良くないことも相まって非常に物語に引き込まれにくいです。

「あ。もうひとり、鼻の穴の形が左右で違う人発見!でもこちらはそう目立つわけでもないから傷は浅いわね」とか、本当にもうどうでもいい事が気になって物語に以下同文。

 

映画冒頭「シン・ゴジラ」のタイトルが現れて、その後、「シン・ウルトラマン」のタイトルが出るんですけど。

「完全にシン・ゴジラの世界の続き」になっているというテイでこの「シン・ウルトラマン」は語られていきます。

物語性から行けば、当然、横綱級の「シン・ゴジラ」の足元にも及びません。吹けば飛ぶような娯楽作であります。しかも薄い薄っぺらい。

言っておきますがワシはアンチ樋口真嗣です。「進撃の巨人」の恨みは忘れてません。

なのに映画づくりのフォーマットはまるでそうであるかが当然のように「シン・ゴジラ」をなぞるように展開されていきます。

「あんな精神性も同時に語るような映画と同じ語り口でコレを語っても大丈夫なの??」と思いつつ見てましたが…

 

まぁ…ダイジョばないですわね(;^ω^)

 

おそらく、「TBS●●周年記念特別番組」としてお盆とか年末のゴールデンタイムに全国放送するような番組として放映するのに丁度いい内容だった気がします。

涙を振り払って、命をかけて、日本人は日本のために何が出来るのか?を鋭く問い続けた映画「シン・ゴジラ」とはまるで違うので、正直、映画館で見るのも正解だったのかワシにはわかりません(CGが甘いっつーか、好きじゃなかった もちろん、1960年代のテレビ特撮番組のフォーマットに則ってわざとそれにリスペクトやオマージュを捧げるために作られているからこそこういう出来なんだろうけど、それを映画館で見る意味がよくわからない)

 

それと主人公?の長澤まさみが…ごめん、正直気持ち悪い。

なんか樋口真嗣の好みの女性像?なのかもしれんけど、ここまでがさつな女は…多分、エヴァミサトさんくらいしか知らない。つまり、オタ的アニメ的な女の表現が気持ち悪いんですな。

見た目の肉体以外に女としての魅力がないのがちょっと、いくら映画の中の登場人物とは言え、ワシは気持ち悪いと感じてしまいました(多分、長澤まさみには罪はない監督が悪い)

 

でもまあ、2時間近い上映時間は気にならなかったし、山本耕史演じる宇宙人がドはまりしてたんで、楽しんじゃったんですけどね。

でも映画として、「シン・ゴジラ」の足元にも及ばない。それが残念無念。

震災が「シン・ゴジラ」という素晴らしい作品を生み出したように、今の時代でも呼びかける物語はちゃんとあったはずという気がしてならないのです。それは芸術作品は時代性からは逃れられないという意味で。