昨日の話は、「一般社会で受け入れることは到底看過できない行為を平気でやる人は、一般社会に出てきてはいけない」というお話でしたが。
なんか今日もまだその話は続いてて、こんなモノが出てきたりするですよ↓
「その時のインタビュアーは私であり編集長も担当しておりました」と明かすと「そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。27年前の記事ですが、それはいつまでも読まれ続けるものであり、掲載責任者としての責任は、これからも問われ続け、それを引き受け続けなければならないものと考えています」と過ちを認めた。
続けて「傷つけてしまった被害者の方およびご家族の皆様、記事を目にされて不快な思いをされた方々に深くお詫び申し上げます。犯した過ちを今一度深く反省し、二度とこうした間違った判断を繰り返すことなく、健全なメディア活動を目指し努力して参ります」と結んでいる。
1994年に掲載された雑誌記事の謝罪を2021年にやる!?(?_?)しかもこのタイミングで( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
なんかもう、「今回、東京五輪の様々な場面に使われる楽曲の作曲者の一人に過去やらかした人この場合はスティグマン=スティグマを負う者_とでも呼ぶべきキャラが選ばれて、それに対して大きな反発を受けて慌てふためいている様子」が圧倒的に「とってつけた感」があって苦笑してしまいますわね。
やっぱり時代とか若者向けの雑誌だっからとか、そんな言い訳は効かないですよ。
「ならぬものはならぬのです」まさに。
その矜持を自分の中に持っていれば、編集長という役職であり同時にインタビュアーであったのなら尚更。
「出版する者としての矜持も覚悟ねえから、脳死状態でレコード会社から取材費もらって提灯記事書くのが常態化してて恥知らずだから、こんな事になるんだよ!アウトローミュージシャンと仲良しこよしで27年後に一緒に地獄行かよ、おめでてーな!!」
が、ワシの偽らざる気持ちであります。
ロッキング・オンのビジネス形態(レコード会社からお金をもらって記事を書く&インタビューする)ももう死に体なんだし、この時代、いっそ解体してチャラにした方がよくないか?と思うのでした。
腐ったシステムでは時代は切り開けない、だからこそ、ロキノン滅ぶべしと断言して本日のブログを閉めます。