山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「カプラ」の使い方が大間違い

敬宮愛子さまのお誕生日映像を朝からTVで見たのですが…
10歳で積み木をタダ積み上げているって事は…お察し下さい…てことでFAなんでしょうか?

うちの初号機も中学生ぐらいまでLEGOで超熱心に遊んでてw
お城セットを買い与えたらソレを再構成して「指輪物語」の名場面を作って遊んでましたな。
あまりに出来が良かったので、思わず写真に撮ったくらい上手にできてました。
本当に百人一首やチェロがお好きなのなら何故ソレを出さないのかそれとも出せないのか…

でも、わんこは可愛かったですね!
賢そうな。周囲に物凄く気を使ってそうな犬でしたが(^^;
可愛らしい雑種のメス犬(かな?)
この犬と触れ合っている時だけ表情が和らいで「普通のこども」っぽくなっているのも良かったですね。
(つまりソレは「人前に出るのが苦痛なんだろうなあ」「普段はカメラを睨んでいるもんなあ」とか思わせるものでもあるわけですが)

それと、今回公開されたお誕生日の映像で一番問題なのは、「カプラ」って数が少ないと面白くないんだよね…て事を周囲の人が誰も気がついてなさそうって部分ですよ。

もっとふんだんに千個単位であると部屋イッパイに建造物ができて楽しいんだけど。
「カプラ」の使い方もコレじゃうかばれないよ(´・ω・`)
部屋いっぱいに大人も出入りできるようなイグルーみたいな建造物をバンバン作ってそれを通路で連結させると、回遊したり中で遊んだりできて本当に「やり遂げた感」や「秘密基地感」があって、「カプラ」も超楽しいのになあ(´・ω・`)
周りの大人、誰か早く気がついてあげてよー(´・ω・`)な印象を持ちました。

LEGOじゃなかなか実際に人間が出入りできるようなものを作るのは困難ですが。
「カプラ」だったら、数さえ揃ってればとにかく積み上げればその内に出来上がるという純粋な喜びがあるんですよね。
その肝心な「喜び」の部分が欠落して「普通の積み木扱いされている」のが、このワシの「ナンダカナー」感の源泉なんでしょうけどね。
もっと一緒になって、親身になって遊んで同じ喜びを共に感じてあげる大人が居ないんだろうな…て事はわかりました。

そんな事を感じた12月1日のニュース映像でした。