山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

秋葉原の通り魔のことを思い出す

「ワシも天神で市橋捕まえて一千万円ゲットだぜー!」
と盛り上がった市橋容疑者の騒ぎでしたが。
その後、彼のご両親の異例の顔出し記者会見を見たら、やたら微妙な気持ちになってしまって。
結果、なんかやりきれない気分になってしまいました。

なんでこんなにいつも、犯罪者の親御さんの様子をテレビで見ると微妙な気持ちになるんでしょうか…?

<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6">秋葉原の通り魔事件</a> の時も、マスコミが事件後、犯人の実家に押しかけたとき、出てきたお母さんの様子が。

__コレはあくまでもワシ個人が受けた印象での話ですが。
自分の息子が取り返しのつかない重大犯罪を犯してしまって、その罪のあまりの大きさに恐れおののく…というよりも、自分の人生が息子のせいで大変な事になってしまって、もう取り返しがつかないじゃないか!と悲嘆に暮れているように見えました。

その時、ワシが感じたのは。
「ああ。この犯人は本当はお母さんを殺したかったんだな」という事でした。
幼い頃から物凄い憎しみを募らせて、ソレを「悪いこと」と押さえつけて、「本当は普通のお母さんから、普通の子供みんながそうされているように、普通にただ可愛がられて愛されたかった」のではないか?
それがこの犯人は叶えられる事がなかったのではないか?
普通の子供時代を普通に送るという事がなかったのではないか?
と、お母さんの様子を見ていたら、一瞬で理解できたんですね(まるでピント外れのワシの勘違いかも知れませんが)

本当はそんな風に母親に対する愛憎半ばの憎悪のエネルギーがあったのに、その殺意はねじ曲げられて、なんとなく社会一般。
自分を置いてきぼりにして楽しそうに勝手に廻り続ける世の中全体?みたいな漠然としたモノに対する憎しみにすり替えられた気がします。

犯人はもうとっくに成人していたはずの大人の男性だったのに。
お母さんが怖かったんですね。

そんな事を、今回の市橋からも感じました。
市橋の場合も、本当は凄くプライドが高くて自分が大好き!で。
親の期待に応えられる程度に優秀だったはずなのに。
機能不全の両親に囲い込まれて反抗する事も出来ず、飼い殺された青年の悲劇。
「この親御さんを見てたらなんとなく判る」と一人納得するワシ。