山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

借金と鬱

再々婚相手のお名前は、中丸「三」千繪でしたね。訂正。
ウロオボエで書いてますので、この日記、色々としょっちゅう間違えます。失敬。
加藤和彦自身、最近は鬱で通院治療中だったみたいですけど。
まあ、あの髪の色じゃ鬱にもなりますね。
あんな変な色じゃ生きていくのが恥ずかしくてイヤになる。染め色大失敗。
金運が良くなるようにあの色だったのかも?ですが。

それにしてもホテルも大迷惑な事で。お気の毒です。

ワシは自殺した人の事は全然可哀想とは思わないタイプ(義弟の一件で本当にイヤになった)なので。
「ま、お金も使うだけ使って好きなことやるだけやって鬱であげくに自殺って。わかりやすい。ゲラゲラw」程度にしか思わない(冷血)のですが。

多分、現在同居中だったとかいう30代女性(今回、遺体を確認した)という方は、「トノバン」のお眼鏡にかなうほどの、トロフィーワイフ(そばに置いてて「さすがな女性の選択眼!」と人様から褒めそやされるような存在)に成り得なかった…って事なんでしょうね。
この女性もお気の毒。

音楽も女性も、生活そのものもさまざまな行為そのものまでが自分を飾り立てる為の道具でしかなかった男の末路がコレ。
というのは非常に、個人的に興味深いです。

人間軽やかに生きるという事にはそれなりの一理があるような気がしますが(ワシは地べたを這い回るような悲惨な人生ですが。結構、楽しいぞ。時々踊っているしw)

軽やかに生きることと、軽く生きることは違う気がします。
なんか、言葉遊びみたいですが。

モノも持たず、貧乏でも飄々と地道に自分の心の自由と平安だけを追い求めて生きる生き方は、「軽やかに生きること」

一方、自分の中身は空っぽのままで、自分を大きく見せたり、飾り立てたりする事に血道を上げて。
より裕福な生活、よりひとから羨ましがられる人に(借金をしてまで)見えることに頑張り続け、それでもなお、自分の中身は空洞のまま。
というのが「軽く生きること」
な、気がします。

人からの評価なんてドーだっていいのにね。
自分の虚栄心に追い立てられて鬱になってりゃ、世話ないわ。

加藤和彦は自分の虚栄心に殺されたんだね。
戦後日本の繁栄の象徴みたいなセレブが死んで。
昭和は遠くになりにけり。