山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「WHITE INCARNATION」全曲レビュー6

09.TONIGHT

コレの何処が極東の二十代のロックバンドの仕事やねん!!と激しいツッコミを入れたくなる作品ですね(^^;
ジャズですよジャズ。
おそらく、「こんな事だって出来るんだぜ」と世間に対してアピールしたかったのでしょうね<この姿勢も若さ故って感じですが。

普通はバンドが老成するとこーいう事をやりたがりますがねw
ピロウズは若いときに散々やった。そしてその結果も散々だった(失礼)
今や「老成」とか「熟練」とか「余裕」とかいう言葉とは一切無縁の音楽生活ですがね。

でもこの音楽は色あせませんね。お洒落。
ギターソロ無茶苦茶凄い。ジャンゴ・ラインハルトかと思うたわいなー!(叫)
こんな洒落のめしたスタイルの音楽もちゃんと出来るんですな。
この流れのままピロウズは第二期へと突入します。

お洒落で、誰からもと感心されるような音楽をする季節が来るわけです。
世間にから評価されたい。
みんなから「凄い!」「こんな音楽を出来る人がいたなんて」って言われたいという、若者ならでは虚飾とか野心とか、おそらくはそーいうモノが動機だったんでしょうが。

しかし、それは本当に自分の心から自然に湧き出た音であったのか?言葉であったのか?
そこに正面から向き合わさざるを得ない事態になるまで、この季節は続くわけです。

10.僕らのハレー彗星

この曲は山中さわお18歳の時の曲だそうで。
「僕が最初に書いた名曲」と本人はおっしゃってますね(自分の一番上のお兄さんの結婚式で歌ったそうですが)

長い事、ワシはこの歌はラヴソングだと思っていたんですよ。
所がある日、気がつきました。

「あ。コレはさわおのいつものテーマ『僕と音楽』じゃんか」

とね。
だって、自分の彼女に「もしかしたら僕だって壊れて歌えなくなるかもしれないよ?」なんて言わないですよね、普通w
男女の間では「歌えるかどうか」なんての些細な問題です。
でもコレが「音楽の神様と自分」の関係だったら?
音楽が作れなくなる、歌えなくなるというのは死活問題です。

「音楽」と「自分」の関わりあい方が、いつの日にか、今までのように無邪気で純粋なモノではなくなる日が来るかもしれないと怯えている歌なんですね。

それでも、二人(音楽と自分)は一緒にいよう。次のハレー彗星が僕らの前に現れるその日まで一緒に過ごそうと誓う歌なんですね。