山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

スタイルではなくアティチュード

昨日、DVD二枚組がピロウズ結成20周年記念作品第一弾になると発表されるや否や、あっという間にこのニュースは世界中を駆け回り、本日既にネット上では世界中のバスターズが大喜びですよ。
ネット社会って凄い。
昔。ソレこそ印刷媒体しか無かった時代。
バンドのメンバーが死んでも(縁起でもない話)そのニュースは平気で一ヶ月遅れとかでやっと日本のファンに伝わる状態だったんですから。
隔世の感があります。
来年の20周年は、世界中のバスターズと一緒にこの記念すべき日(916)をお祝いしたいです。

老いも若きも人種も様々。
ただピロウズの音楽が好きという共通しかない人々が、同じように喜びを分かち合い大はしゃぎしているこの今日のネットの風景がなんだかとても好ましいものに感じられます。
\(´▽`)/WE ARE THE BUSTERS!
うん、ワシはバスターになって良かった。

さて。
今回面白いことに気がつきました。
ワシは根っから底から「自他共に認めるロック好き」って事に世間一般的にはなっていますが、実はその好みって物凄く偏っているんですよw
(なので自分ではあまり「ロック好き」とか思ってない。「自分が好きな音楽が好き」ってダケ)
だからあまり人に勧めることも出来ないし、多分、世間で普通にヒットチャートにランクインするような音楽が好きな人とは話も合わないんです。

だって、別にロックだけ聴いているワケじゃないし。
クラッシックだってブルースだってジャズだって。
詳しいワケじゃないけど、確固たる好みはあるんですよ(始末に悪い)

よく夫がワシの事を「グルーヴ至上主義者」と言って笑いますが。
本当に自分の好みって、この「グルーヴがあるかないか」だけなんですよね。
上手いか下手かなんてドーでも良いんです。
この音楽の力でグルグル渦巻いて、ゆさゆさ揺さぶられて、自分の心を何処まで連れて行ってもらえるかどうか?で好みが決まってしまうんですわ。
なので、それまでにその音楽を聴いたことがあるか?なんてのは些末な問題で。

音楽のスタイルなんて関係ないんです。
「何を演奏するか?」が問題なんじゃなくて、
「どう演奏するか?」が一番問題なんです。

音楽の送り手が自分の全身全霊を掛けて、魂の発露を見せてくれたなら。
たとえ下手クソであってもワシは感動の涙を流して「あげてもいい!」って思いますものw(いらんいらん)