山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

渡瀬恒彦賛

今週に入ってからの「ちりとてちん」が怒濤の展開で、今朝も大泣き(正確には「大泣かされ」)してしまった。
そして今の今まで、「何で草若師匠役が渡瀬恒彦なんだろう?」と不思議に思っていた謎が立ちはだかっていたのに、すっかりソレも氷解!
「おぉ、そうであったか!!」と膝をバンバン☆叩きすぎて、ほら、こんなに太ももが太くなっちゃって・・・
とても人類のモノとは思えぬほどに<デヴ

何故、今まで「何で渡瀬恒彦?」と思っていたのかというと・・・
まず、滑舌が悪い。
言葉がなめらかに出てこない。
上方落語の特徴である、歌うような抑揚をつけた美麗な語り口が皆無な点に一番納得がいかなくて。
「コレでは、落語がヘタという設定の小草若ちゃんの方が、口舌も綺麗で落語が巧いという気配が漂ってしまっているではないか!?」と困惑していたんですね。

実際、小草若ちゃんの中の人は人間国宝の孫の狂言師
所作や立ち振る舞い、ちょっとした姿勢や声の出し方がすごく綺麗で、「伝統芸能の肉体を使う人ならではの美しさがあるなあ」と感心してしまいます。

まあ、そんな「分が悪い」渡瀬恒彦ですが。
渡瀬恒彦と言えばコレですよ!↓

つ ハダカの王様

いや、違う!コレですよ↓
「神様のくれた赤ん坊」(1979)
http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=4170

ワシの「ベストフェイバリット映画」の一本ですね。
「日本映画の神髄ココにあり!」「山中貞夫の後継者はココに居るぞ!!」(大声)
と主張したい作品であります。
ココで彼(渡瀬恒彦)が演じる役柄と、この草若師匠。確かに共通点があります。

それは、「心が優しいけれど、弱い部分も持っているとても不器用で愛すべき男」という点。
日本人の男性にとても多いタイプですね(因みに自称「不器用な男」高倉健さんは全然不器用ではありませんね)
現実生活の中で、身の回りでもよく見かける人物像。
「困った人ね、でも愛さずには居られないわ」と思わずにいられない「平均的日本男児」の姿です。
とてもよく実生活では見かけるタイプなのに、ドラマ等フィクションの中では滅多にお目にかかれないという「ドラマ限定で希有な人物」であります。

それを渡瀬恒彦はごく自然に、さりげなく、堂々と見事に演じています。
「神様のくれた赤ん坊」以来の彼の代表作になる予感。