山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ワシは違う!

などとプンスカプンスカ怒りながら帰宅して、その気持ちを夫にぶつけますと、夫、澄ました顔で、
「でも、オレから見たら、In Rainbowsを良い!と評価している時点で、アナタもロキノンも同じだよ?」
などと言うではないか。
思わず、ワシ、噴火する。

「ばーか!全然違うよー!!今、世界中で、このアルバムをナンバー1であるという評価をして許されるのは、ワシだけだぞー!!」

↑ついにアタマがおかしくなりましたorz

「いやいや、だからこそ、『この問題作を正当に評価できるのはワタシだけ』という態度は、ロキノンと同じだってば!」
と、夫。

「うわーん、違うもーん、ロキノンのバカタレ共とは違うもん??」ヽ(TДT)ノウワァァン!!

つまり、ココでハッキリさせておきたいのは、「ワシはワシの名誉?や名声??(主婦にあるのか、そんなモノが!?)の為にこの作品を支持したのではナイという事」だ。
ここ、一番大事。

人から、「あら、ボイス母さんってなんだか音楽(とか映画とか)のセンスがいいのね?」とか思われたいとか、そんな事、微塵も思ったこと無いぞ!
「あらー、変な趣味ねえ、変わった人ねえ」って言われることの方に断然慣れているからね。
今更誉められても居心地悪いっつーの!

ワシは最終的には、自分の目と耳しか信じてないので、自分が選んだモノは例え世間の評価とは百万光年かけ離れていようと絶対に信じるタイプなのだ。
(「時をかける少女」が「現実否定」の映画だと今でも信じている。しかもあんなアタマの悪い映画に気分を害された事に実は今でも傷ついて居るぞ!)

それは、何故か?

その方がワシが居心地が良いからに決まっているじゃん!
だから、ワシが自分に対して、「アンタの目は確かだよ!アンタが自分の本心で選んだモノはいつも間違いがないよ」とは思ってる。
でも、それを他人様に強要しようなんて微塵も思っていないぞ。

「ワシはワシ」「アンタはアンタ」で別のニンゲンだからだ。
味覚や皮膚感覚が違うように、感受性だって違うはずだ。

だからこそ、この「他人の作品を利用して自分の価値を高めようとするロキノンの態度」は許せない。
全く、コレは「批評」というものから一番かけ離れた行為だからだ。
恥を知れ恥を。

しかし、一方では、
「こんな問題作を一位に選んだロキノンってさすがね」
なんて思っている一般人は多分、居ないとも思っているし。ロキノン、残念!