と言うワケでここ数日来、「ロックと加齢の問題」について考えを巡らせるワシである。
「んー、1991年に一体何があったんだっけ?」とちょいと調べてみました。
1991年の主な出来事↓
・多国籍軍によるイラク空爆(妊娠中であったので、不安な気持ちにさせられた)
・都庁移転
・江青自殺
・普賢岳で火砕流
・ヒット曲は=小田和正「ラブストーリーは突然に」CHAGE&ASKA「SAY YES」KAN「愛は勝つ」槇原敬之「どんなときも。」小泉今日子「あなたに会えてよかった」長渕剛「しゃぼん玉」
うわ、「大嫌いな曲」ばっかりorz
そしてワシが最初の子供を産んだ年でもありました。子供を産むってのはこんなにスゴイ事なのか!?とビックリしましたね。
世界が違って見えました。視界がクリアーになって、リセットされた気がしました。
この出産の日を境に、ワシは新しく生まれ変わった_という気がします。
物事がより明確になり、ハッキリと本当の事が判るようになりました。
セックスはやらないよりやった方が人生楽しい。恋はしないよりした方が楽しい。
同じように子供だって、持たないよりは持った方が断然面白いと知った年でもあります。
さてこの年にムーンライダーズに一体、何があったんでしょうね?
以下全くのワシの妄想ヨタ話であるので、本気には受け取らないように↓
ワシはおそらくは、鈴木慶一の病気(耳?それとも心?)にその原因はあるのではないか?と思っています。
まったく勝手な言い草でありますが、多分、鈴木さえ子との離婚もry
多分、彼ら、この辺りで「何かを諦めちゃった」んですよ。
そんな気がします。
「自分たちは新しい音楽を作っているのだ!」という自負心よりも大切なものが出来たんでしょうね、おそらくは。
新しい音楽なんて、新しい表現なんて、もう何処にもナイという事。
世界の秘境は開拓しつくされ、世の中の不思議なんてものは全てあばかれて。
誰も持ってないものが欲しい。戦争になっても持って逃げられないモノが欲しいなんて願ってみても、それはもう、バブルの波が全てを根こそぎ持って行った後であり、跡に残った不毛な風景を眺めながら、彼ら自身がもう、金で買えるものにしか人生での価値を見出せなくなったんではないか?と、うがった見方をしてしまうのです。
つまりそれは、音楽は既に純粋な「喜び」ではなくなり、糊口をしのぐ一手段になったという事ではないか?と疑っています。