山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

初志貫徹男

とまあ義弟の死後、色々過去のかかわり合いを思い出してみると、ホンマ、ロクな事ないな。なんか一方的に迷惑を掛けられ通しだった(その態度は実際、最後の最後まで貫かれたんだから、「終始一貫」「初志貫徹」と言えば確かにそうなんだが…キャラクターは変わらなかったって事か)
「つきあいを止めたキッカケはなんだったけ?」とツラツラ思い出す。

義母の死後、ある日突然、「100万ほど金をくれないか」と言ってきた事があった。

当時、義母を送った後で、とにかくそれまでの二年間、義母のガンとの闘病生活、それにかかわる一切の費用、葬儀やらお墓やら…
なんだかんだで2年間で600万ほど使ってしまって、当時我が家の貯金はゼロ。
赤ん坊を抱えて義母を亡くし、すっかり抜け殻になって燃えつき現象の真っ最中だったワシにこの申し入れは青天の霹靂だった。

「そんなお金、何処にもナイよ!」と思わず速攻で返事したのだが、とりあえず何に使うのかだけは訊いておこうと思い、「何で100万必要なの?」と尋ねるとガンとして口を割らない。
「必要だから」としか言わない。
「必要ったって、ウチだって今、貯金ゼロだし、余っている100万があったら欲しいくらいだからねえ」と答えたが、その時も思い出したのは、義母が言っていた、離婚したかつての夫に対する言葉。
「あの人は結局、借金がいくらなのか、ナニに使ったのか最後まで口を割らなかった」

「ひょっとして同じ?」と思い出し、かなりヤバイ空気を感じた。
しかしやっぱり「無い袖は振れない」ので、「悪い、100万はやれん」と断って、義母が亡くなってから初めて義母と義弟が暮らしていた家に入ったのだが、ソコで物凄いショックを受けてしまう(こうやって書いて行くと、ワシ、この家では衝撃の受け通し人生だな)

ビデオテープが山と積まれ、「家の中にバベルの塔が出来ている」状態orz
開封のCDやら高価な中古レコードやらがドドーーンと積んであるのだ。
そして極め付けは当時凝っていたカメラで撮りまくっていた、「アイドル歌手のパンチラ写真」がものすご???く大量に積んでおいてあった事。

「ダメダ。この人に子供を近づけたら」と確信した瞬間だった。

一応、年賀状だけはワシから出していたが、返事は一度もこなかった。
ダンナもタマには電話していたが、あまりにもレスポンスが無いので、「もう電話もしないよ」と宣言。
こうやって交流は途絶えた。