山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

11月は逢魔が月 その13

ダンナはそのまま義弟の遺体と一緒に葬儀社の車で斎場まで行く事になったので、
「ワシが来て丁度よかったじゃん。アナタの車はワシが運転して斎場まで持って行ってやるわ」と言うと、ダンナ、
「助かった」とか言っている。

斎場に行くと生協の係りの人も来ていて、簡単に打ち合わせ。
見ると、以前、組合員の勉強会に講師として呼んで来てもらったその人であった(向こうは忘れているだろうけど)
「今回の事は事情が事情ですので」と葬儀についての色々なアドバイスを呉れる。

そのまま斎場で「納棺式」という形で簡単に式を済ませる。
もうダンナもワシも平服のままだ。
(喪服に着替える暇さえ無かった)
ワシの実家の両親、ワシら家族、Nさんという総勢7名の寂しい式であった。
(実は11月2日昼間の段階で、無くなった義母のお姉さんに今回の義弟自殺報告の電話をして、80歳超のおばあさまに大きなショックを与えてしまったので、「もう式は身内だけで簡単に済ませますので、出席には及びません」とお断りをしていたのだ)

ここで初めて義弟の遺体の顔と対面。
13年ぶりの対面だったが、義弟は相変わらず心根の狭そうな表情で眠っていた。
オデコの辺りが特にダンナに似てて、「いやはやダンナが死ぬ時もこんな顔なのだろうか」
とすっかりアルウェンになった気分で義弟の顔を見る。

そのまま遺体を焼き場に持って行き、ダンナは霊柩車に遺体と一緒に乗り込み、その後ろをワシが運転するダンナの車、ウチの両親の車、Nさんの車でついてゆく。
斎場を出発する時の霊柩車の長いクラクションの音は、何度聞いても心が引き裂かれる思いがする。
物欲に支配された阿呆な義弟の一生であったが、やはり憐れではある。
愛を知らず、自分しか愛さないままで死んでしまった憐れな男。
長いクラクションを聞きながら心の中で合掌し、ダンナの車を運転する。

斎場から焼き場までは車で10分程度。
義母の時もココだった。

そのまま焼き上がり(?)を待っていると、ダンナ、焼き場の待合室のソファで仰向けに座ったまま、真剣に寝入っている。
「気を失う様にでも眠れれば幸せ。眠りなさい」と思う。

焼き終わった後Nさんが義弟宅まで先導してくれる。
両親は子供たちを連れて一足先に山麓に帰宅。
ワシとダンナで義弟宅に入り、少し片づけてから明日以降の「この家をドウ片づけるか?」の相談をする。
見れば見るほどゲンナリするバベルの塔ブリである(家の中)