山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

11月は逢魔が月 その10

するとその電話の一時間後には税理士さん、ウチのダイニングに座ってらっしゃる(早)
帳簿と書類一式渡すと、「コレは全部お預かりして私がやっておきますんで」とおっしゃる。
うぅ、ありがたい。

次はパート先に電話し、
「親戚に不幸があったので、しばらく休みます」と報告。
「あ、そうだ」と思い出し、生協の葬祭サービスに電話。
「コレコレで義弟が自殺してしまったんですけど、どうすればいいのでしょうか?」と相談。義弟宅最寄りの葬祭場を紹介してくれるが、そこは義母の葬儀を13年前に執り行った場所であった。

そのまま子供たちが学校から帰ってくるのを待って、二人それぞれに「明後日の学校行事は諦めてくれ」と宣言。
実は明後日、長女は学校の合唱コンクール(何ヶ月も前から物凄く楽しみにしていた)で、コオニタンは小学校に入って初めての「登山遠足」(何ヶ月も前から物凄く楽しみにしていた)だった。

丁度、たまたま飛び石連休だったので、学校を休ませるのは一日で済みそうなのが不幸中の幸い(通常、学校での「忌引き」は「叔父叔母」の場合、一日しかとれないのだが、ウチの場合、事情が事情_具体的に他に親戚が居ないので、子供たちを見てくれる人が居ないので、義弟宅のバベルの塔片づけ作業に子供を含めた家族全員でとりかからねばならない_なので2?3日は学校を休ませる必要がありそうだった)

夕方、熊本からワシの実家の両親が到着。
いつも実家の両親には世話ばかりを掛けさせて申し訳ない。
子供たちは大好きなオジイチャンオバアチャンに会えて大喜びであるが。
「なんで一体、自殺なんか…」と両親が口々に言うが、ワシだって直接の事情は知らんよ。
確かに義母が死んで以来、義弟は「何時死んでもおかしくない男」だったけど、何で今、このタイミングなのか?なんてのはワシにもわからん。

「しかし、ダンナは無事だろうか?」と気になって、夜になって電話(それまでも数度、「コッチの報告」というカタチで電話してたが)
すると案の定、テンパっててご飯も食べず、義弟の遺体の隣で義弟宅内部のバベルの塔と一人で格闘中であった。

「ワシが電話でこのままずーっと話しかけててあげるから、とりあえず、Nさんが買ってきてくれた弁当を食べなさいや」と言うと、話しているうちにダンナ、腹が減ったらしく、
「うん、食べられる気がしてきた。食べる」と電話口でゴソゴソと弁当を食べ始めた。