山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

修学旅行でトラウマ♪<コラ

さて、「自分の修学旅行はドウだったのか?」のをついつい思い出してみる。
中学校の時は、「秋芳洞、萩、広島、安芸の宮島」だったっけな。
一泊目は萩(海に面したホテル)、二泊目が宮島だった。
自由行動は一切無くて、二泊目の宮島で夕食後、就寝時間までがなんとなく自由行動があり、なぜか「蝋人形館」に入った記憶がある。
「なんで宮島に蝋人形が?」と未だにヨクは理解できてないのだが、その内部に展示されていたものって言ったら、「水攻めの拷問を受ける半裸の女性像」があったり、「胸元を開いてオッパイポローリな細川ガラシャ像」があったりで、
「もしかしたらアレは、秘宝館の類いだったのかも?」と、なんとなく察し始めたもうすぐ45歳の秋である。

「広島ではナニ見たの?」とダンナに聞かれたので、
原爆資料館原爆ドームを遠目にチラッと」と言うと、
「アンタ、小学校の修学旅行では長崎の原爆資料館に行ったって言ってなかったっけ??」と言われた。
ウム、確かにソウだわ。
ヒロシマナガサキ。両原爆資料館制覇する運命」なのよ>九州の小中学生。

「ソレってなんかスゴクね?」<17歳まで大阪で育った男(ダンナ)
ダンナは一度として原爆資料館を訪れた事が無いのだ。
「いやー、当時は戦中の記憶も生々しい時代でねえ、展示物も容赦無かったよー。今なら児童虐待の範疇に入るようなモノを無理矢理見せられて、みんなトラウマになっているんだよねえ」と遠い目をして思わず語るワシ。

特に長崎の資料館は鬼気迫る、腐臭が漂うような展示物がテンコモリで(1972年当時_今は随分洗練されて、あまりにも残虐な物件は展示されてないらしいが)、ソレを見学させられた夜には、うなされて眠れなく児童や、一人でトイレに行けなくなって号泣する児童が大多数だった。

「あれ?でもアナタの中学校の時の修学旅行って、九州じゃなかったっけ?その時、長崎には行ってないの??」と聞くと、ダンナ、
「うーん、阿蘇に泊まって草千里見て、なんか観光コースみたいな場所を巡る旅行だったよ?」とか涼しい顔で言っている。

修学旅行でトラウマを植え付けられたのは、1970年代の九州の小中学生だけらしいや(--;
「楽しい修学旅行を、返せ??よこせ???、♪あ??許す??まじ原爆をぉ???♪」<まだこの歌を覚えているしorz