山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

拾い物の庭・田辺聖子

ダンナ、階段から落ちた割には元気だ(^^;
昨日は一日、「クソー、トイレに立つのにも足がイテエ」と文句を言っていたが、今朝はもうイイらしい。
ダンナは本日、早朝より長崎出張。
金にならねえ取材仕事(むふ?ん)
ワシはボイスと散歩。
すると、山の中のビニールハウスの脇に博多ネギがてんこ盛りで捨ててあるのを発見。
うずたかく、高さ1メートルくらいに盛ってある>博多ネギ。

「うーむ、拾うべきか?」と一瞬考える。
しかし、根付きでは無かったので諦めて立ち去る。

このネギが捨てて会った地点の道を挟んだ向かい側の農地は、クジャクソウの栽培をしている畑で、季節になると花期の終わったクジャクソウを根っこがついた状態でてんこ盛りに捨ててある。
その白いクジャクソウが可愛くて、ワシ、つい数株貰って持ち帰り、庭に移植しちゃった前歴がある。
そしてその畑の先には小さな湿地帯があり、蒲の穂が多数自生している。
ちょうど用水路の工事があった時に、数株、蒲の穂が道側に倒れ掛かってきていたので、「このままじゃ枯れるな」と思って、散歩の帰り道、掘って持ち帰った。
この蒲の穂は今、我が家のメダカ鉢で元気に成長中。

ダンナがいないので、レンタルのDVDなんか観て過ごす。
お題は「ジョゼと虎と魚たち
原作は田辺聖子!実はワシ、長年おセイさんの大ファンである。
最近出版された「残花亭日暦」は泣けた。思わず号泣。
取り合えず、某所に掲載しているワシのこの本の書評をコピペしておく↓

*
ガンに罹った家族を見送るのは、長い死へのレッスンでもある。
死への助走期間。何度も繰り返し噛みしめる「サヨウナラ」の練習。
幾度となく願い、身を切られる悲しみに晒されても、その終わりの時は来る。必ず、来る。
その悲しみにどう立ち向かうのか。病によってすっかり積年の面影も失せた、長年連れ添った配偶者にどんな愛情を持ちながら接すればいいのか。
それらの答えがココにある。
一瞬覗かせる、元の人格。元の生活。
死への長い助走期間を過ごしながら立ち現れてくる、平和な日々への揺り戻し、その繰り返し。
死は徐々に近づいても、実は夫に向ける愛は寸分変わらないというこの凄さ。
「長年夫婦であり続ける事も才能のうち」とワシはよく思うのだが、この本にはその道の達人の日々の生活が書かれている。
「白いうさぎ黒いうさぎ」のその後。とも言える気がする。
*引用終わり