山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「刺青」「セックス・チェック/第二の性」の二本立て

散歩ついでに注文していたパンを引き取りに出かけていたら、パン屋の前で偶然、漁師のおばあちゃんと出会う。
最近、お互いのタイミングが合わなくて、なかなか魚が買えないでいたのだ(ワシが散歩に出ている隙にウチに来られることが何回か続いた)

見せて貰うと、大きなナマコがゴロゴロ。
大きいのが3匹入った袋を一つ貰う。¥500也。
しかし、パン代金しか手持ちを持ってなかったので、
「後でウチに集金に来てください」と言うと、
「いつでもイイよー。今度払って」と言われる。
そ、ソレでいいんですかいー?
おばあちゃんと別れ、パン屋で品物を受け取って、バッグの中にはパンとナマコと漬け物(おばあちゃんのオマケ)が入っている。その足で、遠回りして帰宅。

家に帰ったら庭の手入れ。
アチコチ、花のつぼみがついて、新芽が出ている。「立春」だもんね。
子鬼が相変わらず、出たばかりの球根類の芽をドスドス踏み荒らしてゆく(涙)
甚五郎とクルが庭中を走り回り、ボイスもワイアーロープが届く範囲では一緒になって追いかけっこして遊んでいる。
平和な月曜の午前中。

お昼ご飯を食べたら、お楽しみ、「刺青」(増村保造監督・若尾文子主演・1966年)を観る。
原作を読んだことがあるので、どんな話かは大体知っていたが、「ナンか、違う?」
谷崎潤一郎の世界はもっと「病的でどす黒い(←精神的に)綺麗さ」があるような気がする。

この映画化は確かに、匂い立つようなエロさと美しさはあるが、「どうにも話が薄っぺらい」気がする。
脚本のせい?新藤兼人が悪いのか?

増村保造作品は増村保造本人が脚本を書いた場合に、より本質が立ち現れるというか、「愛」というモノに対する切り込みがより鋭くなるような気がする。
ソレはほとんど、日本人が自覚しない世界というか、実に外側からの視線のようなモノを感じるせいなのかもしれない(自分で書いている文章の意味が段々分からなくなってきたぞ??←つまり、「外側から観た日本人の愛の姿勢」というか・・・そーゆー事が言いたい)

この映画で言葉が足りず、もどかしかった部分を「曽根崎心中」で補完したのではないか?>増村監督。
そんな気がした。

寝る前には「セックス・チェック/第二の性」(増村保造監督・緒方拳主演)を観る。
コイツがトンデモナイ「『と』映画」!
寝る前に刺激の強い映画を観てはイケマセン。
ワシは思わず、夢でうなされたよ・・・(遠い目)