山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

最近、ネットやってて思うこと

ネットやってると、自身の感情が「鉄仮面を付けたかのように綺麗事だらけのニュートラルさ」か「モロ感情むき出して取り乱し放題」のドッチカに天秤棒が傾いてしまっているヒトを見かける事がある。
そのキャラクターがドチラ(鉄仮面&取り乱し)ともが実は全く、「オカマイナシなヒト」(他人無視)というトコロでイコールになっちゃっているのだ。
(例え誰かが傷ついて泣いていようとも、知らないふりで「自分の自慢話」だけ延々繰り返してみたり、一方、誰がナンと言おうと泣きわめいて自分の感情だけをやたらにぶつけてみたりの行為は「一見別物」に見えるが、その根っこは「同じ」だ。「他人無視」という点では)

例えば、「感情ダダモレ派」の場合、自分が書きたいことを、自分自身のHPに書くだけならまだしも(ソレは当然の行為だから)、ヒトんちまでに来て、書き散らして行くのは如何なモノか?

ワシは、「コレは管理人さんに対して、あんまりにも失礼なんじゃないのだろうか?」とハタで読んでいてハラハラしてしまうのだが、どーもそこんところの感覚がワシとはチガウらしい。
「ワタシは言いたいことをココで言うことでワタシの存在意義があるの」とでも思っているのだろうか?
お願いだ。そーゆー事は自分ちでヤッテクレ。

一方。勿論、「ネットの世界はニセモノ」だから、「怒らない」「批判しない」「ケンカしない」「綺麗事で済ませたい」「自分のホントの感情なんて死んでも出さない」って言う信条を持つ人も多いと思う。
多分、他人とぶつかりたくなくて、傷つきたくなくて、自分の現実なんて見ずに済ませたいと思う人。

どんなにヒトがもがいて苦しんでいようが、ニコニコとほほえみを浮かべて「そうね、でもその哀しみも含めて全てに感謝しましょう。だってニンゲンだものぉ?♪」とまるで、相田みつ●のようなゴタクを並べて、綺麗に話をまとめるタイプ。

でも、ワシはネットの世界も現実と地続きという立場をとっているので(別に宣言したわけではナイが)そこまで鉄面皮に自分の感情を押し殺すことは出来ない。
だって、そんなことしたって「ケンカを避けられる」という以外にどんなメリットがある?

イヤなことには目をつぶり、抗議したくても感情を押し殺して愛想笑い。
ソレはソレで「一つの処世術」とは思うが、自分の感情をダダモレ失禁状態にするのも、(お墓まで)隠し通し押し殺し続けるのもドッチもイヤだ。