山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

サイトー家・姉妹愛編

せちたろーがこの冬休み中の「自主学習のお勉強」を、正月以降サボっている。
あまりにも、真面目に勉強にもピアノにも取り組まナイのでワシが「怒りたくった」(九州弁=怒り倒した、叱り飛ばしたという意)ら、子鬼がワシに文句をつけに来た。
「にゃーにゃん(お姉ちゃん)、いやって(言ってる)!ダメ。ママ、(叱っちゃ)ダメ!!」とワシを叩きながら怒る。
そして、せちたろーの傍に行って慰めながら、「にゃーにゃん」と優しく肩を撫でてやっている。
「にゃーにゃん、だいじょーぶ?ん?」と言いつつ顔を覗き込んでいる。

例えばコレが、子鬼が叱られていれば、せちたろーが子鬼をかばうのだ。
「もう、叱らないで」とワシに言い、子鬼に向かって「一緒にお母さんに謝ろう。ね?」とか言いながら
「ごめんなさい!」と率先して言う(自分が怒られているときはメッタに言わないクセ←もう、思春期前なので以前のように素直に「ゴメンナサイ」とは言わなくなっている)
そして今日のように、せちたろーが怒られていれば、二歳児の子鬼が身を挺して姉を守ろうとする。
小さい体で、よく喋れもしないのに。ワシとお姉ちゃんの間に立ちはだかって、助けようとするのだ。

う?ん。姉妹愛。

こんな瞬間は「子供を二人産んでおいてヨカッタ!!」と思える。
年は7歳も違うのに。二人の姉妹愛はチャンと起動しているのだ。
一緒に遊びもするし、喧嘩もする。ナンテ事ナイ普通の生活を日々送っているのに、
お互いを思いやり、守ろうとするココロは芽生えているのだ。
母はシミジミ感動させられる。いいなあ!!同性の姉妹って(ウラヤマシー)
出来れば、一生こうやって助け合って生きていってね。母の願いだ。

年末に映画「マグノリア」を観た。
ロバート・アルトマンの「ショート・カッツ」とよく比較される映画だが、監督の若さと育ちの良さが引き立った映画だった。
アルトマン大人の人生に対する冷徹な視線に対して、コチラ、PTアンダーソン監督のニンゲンに対する視線の柔らかさ。優しさ。
なんか、メッキリ救われちゃう映画だった(「映画として優れているか?」は別問題)
登場人物のキャラクターそれぞれが「一人のニンゲンが分裂した人格」という印象は拭えなかったが、「人生はコレくらいで丁度イイや」って気がして、助かった。
親だったら誰しも、自分の子供がツライ目に遭って欲しくないと願うモノなのだ。そんな気になる映画。