山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

子供という救い

ミヤマガラスの群&群。
今年も大陸から渡来してきたミヤマガラスが空イッパイにいる。
電線に沢山留まっている。

子鬼、ソレを見て、
「見て見てお母さん、カラスがイッパイ咲いているよ」と言う。
「気持ちは分かるけど、アレは咲いているんじゃなくて並んで留まっているんだよ」と答えると、
「カラスさんたち、映画を観ているの」と子鬼が言う。
ナルホド、みんな並んで同じ方向を向いている。
「あ、そうか。アレは映画を観ているんだね」と言うと、カラスが一斉に空に飛び立った。
子鬼がソレを見て、
「映画が終わっちゃったんだね」と言う。

結構、コイツ(子鬼)は詩人かも。
せちたろーも2歳くらいから6歳くらいまで、「歩く詩心」みたいな子供だった。
言うこと為すことがことごとく面白くて、ワシは観察日記を付けていたくらい。
やはり、子鬼も同じタイプの子供である。
子供はやはり、(一緒に生活してみると)かなり面白い。

地元の産直食材販売所に行くと、店の前にロバが繋がれていた。
子鬼が「見たいー」と言うので近寄って見る。
写真を撮ろうとしたら威嚇された。結構凶悪ロバなヤローである。
ロバの奥にはイノシシの檻もあって、久々にご対面。
イノシシはヒト慣れしていて、近づくとワシらに愛嬌を振りまく。
檻の隙間から鼻先を突きだして「フゴフゴ」とワシらの匂いを嗅ぐ。
犬の匂いが気になるのか?

夜、悲しいことがあってダンナが落ち込む。
あまり、表情には出さないが、激しく凹んでいる気配が漂っている。
すると、せちたろーがダンナに手紙を書いて渡した。
ダンナが読んだアト、「コレ」と言ってワシに差し出す。
見ると、封筒の中には「お父さん、落ち込まないで。お仕事頑張ってね」と書かれたカードが入っていた。
その優しい心が嬉しくて、ワシとダンナ、食卓で泣き崩れる。

子供というのは希望である。魂の救済である。
ソコにいてくれるだけで、人生は輝きを取り戻すことが出来る。
「親孝行」なんてしなくてイイ。
一生、自分が好きなようワガママ勝手に生きてくれ。
キミがキミでいて、ソコにいてくれるだけで、ワシらには大きな喜びと救いがあるのだから。

子供を持って本当にヨカッタ。
産んで以来、一度も「子供なんか持つんじゃなかった」と後悔した事はない。
産む前はあんなに、「子供を持ったことを後悔する日が来たらどうしよう」と心配していたのに。

娘がいてくれる人生に改めて感謝。