山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

バトンの熊本行き

さて、今回の熊本行きで一番の問題になったのは、「バトンをどうするか」

で、ありましたよ。

知っている人は知っている、バトンはものすごく臆病な犬で、怖いあまりに人を噛んでしまう犬なんですな。

近年はそのビビリ癖もずいぶん治って、家族も噛まれなくなったんですけど(怖くなると家族も見境なく噛んでしまう)

「慣れない車に乗って、初めて行く熊本へ」(-_-;)と考えると「無理」なんですけど、家で弐号機にバトンの世話を全おまかせにするのも「無茶」なんですよ。

 

バトンは子犬時代はボイスのときみたいに、あちこち連れて行ったりしてたのですが、本犬が恐怖のあまり疲労困憊するので、「やはり無理か」と基本、「家でお留守番犬」になってるんですよ。

 

なので今回は、「仕方ないバトンを熊本に連れていきますか…」と連れて行ったんですが、これがもう…

車に乗る=獣医で注射を打たれる

なんで、乗った瞬間からバトン、激しくビビリちらしまして、もう全身がガクガクガクガクと激しくシェイクしておりました。

ところが、道順が、「獣医を通り過ぎた」あたりから「獣医じゃない」と気がついたようで、

「あれ?どこに行くの?」と興味津々で外の様子を見るほどでした。

で。熊本に泊まった最初の夜、バトンは玄関先に繋いでおいたのですが、これがもう慣れない場所で家の前の道を車やバイクが通るのでそのたびに吠えてて(ほぼ一晩中)

ワシが疲労困憊です(ご近所のみなさま、申し訳ありません)

 

家から犬ベッドも持参してたので、とりあえずはそこで和んでくれてて、玄関での家族の出入りにも別に吠えるでもなく、普通にしてたんで、油断してたんですよね。

 

二日目の夜、ワシはお風呂に入ったあと、家族の洗濯物を洗濯してて、それが終わったので洗面所で干してたんですよ。

そうしましたら、夜の10時過ぎ?頃に玄関が騒がしくなって見に行ったら、弟と弟の長男が玄関に駆け込んできてて「噛まれたー」と言いつつ爆笑してるんですね。

 

「うわー!ごめん」と言いつつ見せてもらうと太もも裏側に歯が刺さったあとが3~4箇所ありました_(:3」∠)_

 

実は二日目はバトンが夜に吠えるので、車のリヤゲートを開けてて。そこにドッグベッドを入れて、リヤゲートを開けっ放しにしてたんですよ。

そうやっているとバトンも「自宅感」が出たようで、全然吠えなくてリラクッスしてたのですが…

弟が何時に帰宅するかわかってなかったので、「何時頃リヤゲートを閉めてバトンを閉じ込めようか」と思っているうちに弟一家が帰ってきちゃいましたヾ(:3ノシヾ)ノシ

 

玄関先に繋がれた時は、バトンにとって「なんか知らない家に来た」=自分の縄張り外

なんですけど、

車のリヤゲートにいる時は、バトンにとって「自宅も同然」=自分の縄張り内

なんですな…

噛んだ理由もハッキリしてるんですけど、弟には悪いことをしてしまいましたm(_ _)m

 

葬儀落穂拾い

そうそう、この事を書いておくのをすっかり忘れてました↓

「どうせ弔問客も来ないし、嘘じゃないからこの程度のことは良いやろ」とワシは思ったのですが、この程度でもその場をとり繕うというのは大事なことなんだと後々思い知ります(そのエピソードは葬儀当日に詳らかにされます)

 

つまりこれは、弟の会社の人が3人も葬儀に来ちゃったので、なんとか、事情を知らない人にもそれらしい「母親が亡くなって悲しみに打ちひしがれている姿」を見せることができてよかったね、という話であります。

もちろん、弟はワシと違って母に溺愛されて育ったので、母が亡くなったことは普通に悲しくて、葬儀で号泣しておりました(たった一人でも、本気で母のために泣いてくれる人がいて良かったね…というのがワシの正直な感想)

そして葬儀でナレーションにて披露された「母の姿」は現実とはいささか(というか、かなり)違ってましたが(「家族を愛し、仕事と家庭の両立に奮闘した女性」というのは事実とはかなり違っている)

まあ、弟の会社の人には「普通に母を亡くした同僚の葬儀」というふうに見えたんじゃないでしょうか。

弟の社会的な立場のためにもそれはとても良かったと思っております。

嘘だけど全くの嘘じゃない、一部本当のことが含まれている母のプロフィールを瞬発的に捏造(゚∀゚)してみせたワシの機転に家族は感謝するように。

基本、嘘はつかないワシですが、滅多にやらない「その場を取り繕う事」もやれば出来るんだな_と自分で自分にビックリです。

 

それともう一つ、葬儀の準備のために現金が必要になり、父が弟に付き添ってもらって銀行に現金を引き出しに行ったんですね。

なので、ワシが前もって「大きな金額を一度に引き出すと銀行の人に、使い道についてアレコレ言われるから、使い道を尋ねられたら『自宅のリフォームです』て言えばそれ以上追求されなくてすぐにお金が引き出せていいわよ」

と入れ知恵しておいたんですね。

そしたら、案の定、弟と父は銀行の別室に連れて行かれて(゚∀゚)

「お金の使い道はなんですか」と詰問(人聞きの悪い)されたそうです。

そこで父が「自宅のリフォームです!」と言ったらすぐに解放してもらえて、すんなりとまとまったお金がおろせたのだそうです。

後々父は「自分の口座からお金を下ろすのにわざわざリフォームとか言わなくて良かったのに、葬儀代金て正直に言っても良かった」と申しておりましたが、いやはや。

それはそれで銀行は「投資信託なさいませんか」とか言い出しかねない気がします(猜疑心の塊)

父の食事が問題

と、言うわけで。

早いものですね、葬儀から一週間経っちゃいました。

 

とりあえず、父はこの1年ちょっとの間、お世話になってた介護付きの特養ホームを引き払いました(もともと食事に不満があったらしい 入所した理由も、母の介護と父の食事の世話が最大の理由だったので、母がいなくなれば父がこれ以上入所している理由がなくなるわけです しかもこの特養ホームにいる限りは父は自由に出かけられないし、父の大好きな囲碁の相手もいないし 暇を持て余しているわけですよ)

父はこれから、実家に一人で住みながら公的なヘルパーさんの助けを借りて暮らしていくことにしたようです。

 

ワシは姑の葬儀の時に比べれば、物事がシステマチックに進むし、進捗状況が一目瞭然だし、全てが明朗会計で、ワシが特別になにかやるって事もほぼなくて、非常に楽をさせてもらいました(知ってる人は知ってますが、ワシは姑の葬儀で親戚一同から酷使されてw母乳が止まってしまった過去がある)

今は時代が進んですべての物事がわかりやすく、親切なものに変わってますね。

そこに一番感心しました。

実家の父も弟も、「俺の葬式もここでやってくれ」と申しておりました(;^ω^)

ワシももし、やるんならココが良いな(アットホームな雰囲気で、高級リゾートの面影もあるし、なんたって祭壇がおしゃれ 明朗会計で変な演出も一切ないし←それでも弐号機は司会進行のナレーションを「あれはどうなの」と文句を言ってたが 姑のときとか出棺の時に、大音量で美空ひばりが流れて、「おかあさん、ひばりちゃんよおおおおおお」と司会のオバハンが絶叫してて、ワシは殺意が湧いてきて暴れそうになったぞ)

 

実家の父のためにそのうち、ワシは仕事をやめてお世話をしにいく事になりそうですね。

実弟は月一くらいで出張で熊本に来てますが、熊本に家族で帰ることはなさそうだし(二世帯住宅を建てたのに、ついぞ住むことはなかったんだなあ)

 

「せめて、一日に一回だけでもお弁当とか配達して貰えば、父も楽なんじゃないかな」と思って提案してみたら、実弟から、

「この前、マクドダブルチーズバーガー買ってきたら、ぺろり食べてたぞ(つまり老人対応食とか介護対応食とか嫌いってこと)」

との報告が入り、「若者向けの宅配弁当を探すか」(´ω`)トホホ…となっているところでございますよ。

母の葬儀 その6

というわけで、いよいよお話は葬儀当日の事となります。

※通夜があった夜遅くに東京から弟嫁と弟長男が熊本にやってきたのだが、その時にバトンが弟を噛んでしまうという事故が発生してしまった

その話はいずれ書きます 弟には悪いことをしてしまった(´・ω・`)ゴメンナサイ

 

葬儀が行われた日の朝、弐号機はワシの頼んだ用事を全て片付けてくれてから、ちゃんと時間通りに斎場まで高速バスでやってきてくれました。

弐号機と弟の長男、数年ぶりに再会しました↓

実はこの二人、いとこだけど?いとこだから?骨格が似てるんですよね。

首~肩にかけての骨格が瓜二つであります。

 

ワシの職場の東京本社社長から巨大なお花のスタンドが届いてワシが驚愕↓

立派なお花をパートのおばちゃんにまで贈ってくださるとはwありがとうございますm(_ _)m

 

棺に入った母はノーメイクでもとても安らかでとても美しく(60代にしか見えない)

白雪姫のようでした。戒名ももらってあの世へ旅立つ準備は万端です。

葬儀には弟の職場の方々も来られて(「来なくて良いっつったのに、来やがった」と弟)

東京からわざわざやってきてくださった弟の上司の方は、その昔、某有名女優を振った事があるという伝説の持ち主で。

ワシはその女優さんが好きで、徹子の部屋に出た時にその女優さんが「高校時代に自分を振った男の話」をなさってたのを聞いたことがあった(それがきっかけで「見返してやるー!!」と上京したとかいう話だった)ので、

「え?あの伝説の男が見られるの!?」と単純に喜んでしまいましたw

加藤雅也に似てますよ」なんて弟嫁に吹き込まれて、胸踊らせて待ってました←とても物見高いワシ

 

はい、確かにしゅっとした男前でした(^o^)

 

父を中央にしてみんなで葬儀の記念写真を撮ったり(そういえば、年頭に行われた父の姉の葬儀では記念撮影がなかったな)

母は現住所を入ってた特養ホームに移してたので、火葬場は熊本市になります(火葬場の使用料金は6000円でした←ものすごく安くてビックリしてしまった 福岡市は20000円 北九州市は15000円)

 

今回はじめて熊本市の火葬場に行ったのですが。ものすごく立派でまたビックリ。

中に入ると、焼き窯?(という言い方で良いのか??)がダーーーーーーーーと数十機並んでて壮観な眺めでした。

あまりにキレイで清潔で立派なので、「熊本市、すごいな」と単純に思ってしまいましたw

 

流石に父も疲れたみたいで、焼き上がり(;^ω^)を待っている間にうたた寝してました。

焼き終わって遺骨を引き取ったら、そのまま実家へ戻り、斎場の人が祭壇を飾り付けてくれるのを見終わってから「じゃあ、帰ります」と持ってきた電化製品、洋服、犬(バトン)を車に乗せて、親子三人で自宅に戻りました。

母の葬儀 その5

というわけで。

ワシら4人全員(ワシ、オット、弟、父)で、一旦実家に戻って喪服一式持参でお通夜のために斎場に戻ってまいりました。

家族待合室のお座敷はこんな感じです↓

このお座敷で全員でのそのそと喪服に着替えてから運ばれてきたお通夜のお膳をいただきまして、お坊さんを迎えて読経していただきます。

 

この隙間にも色々ありまして。

そのことを忘れないうちに書いておきます↓

 

その1)熊本に来た日(29日)

父が「足が腫れて治らない 病院から漢方薬も処方してもらっているけど治らない」と言い出すんですね。

見ると、足の甲がパンパンに腫れてて別人の足になってました。

「ああ、これは加齢でリンパの流れが滞ってて、体内を上手く巡ってないんだな」とすぐにわかりましたので、ワシが父の脚を持ってふくらはぎを足首から膝裏に向かって軽く掴みながら何度か下から上に向かって繰り返して揉みました。

「ふくらはぎは第二の心臓ですから、夜にはこうやって足首から膝裏に向かって揉みあげてやってください そうすれば流れが良くなって腫れも引くはずです 自分でも揉んでみてね」

と言っておいたんですね。

するとその翌日(30日)の朝、

父が、「大変だ!足の腫れが引いた!!」と言い出しましてw

見ると、確かに父の両足、象足になってたのがスッキリと腫れが引いてまして(;^ω^)かなり元の姿に戻ってました。

しかも急激に腫れが引いたので足の甲がシワッシワのしわしわ状態になってて思わず笑ってしまいました。

「薬でも効かなかったものが、ワシのこのゴッドハンズによって治ったか」( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

とか高笑いしてたんですが、本当にマッサージがよく効いたようで。父も、

「今まで頻尿で1時間おきにトイレに行ってたのに、頻尿も治った。もうどうもないぞ!トイレにそんなに行かなくても良くなった!!」と驚いております。

「まあ、治ったんなら良かった、もう少し揉んでおこうか」

と隙間を見ては父の両足をモミモミしてたんですね。

熊本に来る直前にふと思い出して、庭の枇杷の実を庭に落ちてた洗面器いっぱいに収穫して持ってきたんですけど、父がこれを大層喜びまして、「この自然な素朴な甘さがたまらん!うまいうまい」と我が家の野良枇杷をよく食べてたんです。

父いわく「あの枇杷を食べてから良くなった気がする」(;^ω^)

枇杷の葉には薬効があるみたいですけど、実には、βカロテンくらいしか入ってないと思うけど(おそらくマッサージが効いたと思う)

 

その2)お通夜の日に初号機から連絡があり、

「小学校の運動会で行けないからお金送ります。お母さんもお葬式で疲れるだろうから、3万円送るからなにか美味しいものでも食べて」

と言われたので、

「3万円はいらないから、おじいちゃんに弔電を一本打ってあげて、喜ぶと思うよ」

と返したんですね。

 

その弔電が届いて読んでみたら、これがまた素晴らしい文章で、ワシら一同、初号機の幼少時から連綿と続いてきた彼女の優秀さと利発さをまざまざと思い返して思い知らされたのでした。

あの美貌とこの頭脳を持つ女。

最強やん(ワシが生んだんだけどね)

 

 

母の葬儀 その4

というわけで、母は日曜日の午後3時過ぎになくなりまして(ワシが高速を降りようとしてた頃か)

月曜日がお通夜となります。

斎場ではお通夜を過ごすお座敷も準備され(この場所が「ここは山奥の高級温泉旅館か!?」みたいな建物で素敵なアプローチがある)、広い浴室もあって、お布団が5組あるので、お泊りもできます。

「じゃあ、お泊り組は父と弟、通夜の夜に東京から合流する弟嫁と弟長男、の4人でオッケーね」と決定(ワシが←なんでか)

ワシとオットはお通夜の夜は実家で寝ることに決定。

決まればあとは、お通夜用の座敷で家族全員お茶を飲みながらだらだらして時間を過ごします。

 

すると斎場の人が来て、「葬儀中に故人様をご紹介するコーナーがありますので、プロフィールなどを教えてください」と言うではないですか。

知ってる人は知ってますが、ワシの実母は友人もいません(他人を信用しないから)

趣味もないです。

 

何年か前に実母の看護学校時代の同級生が突然、ワシの実家を訪ねてきたことがありまして。

その時も母はほぼ相手しなくてですね(-_-;)

ワシがその方のお相手をして、延々話し相手になってたという_そんな事もございました(「今まで色々ご苦労はおありになられましたのに、今のお暮らしは本当にお幸せでらっしゃるんですね、娘さんや周りの方々もお優しい素敵な方たちで、こんな穏やかで幸せな暮らしがあるというのは、それまでの苦労が報われるという云々」みたいな話を黒柳徹子モードになってやりました)

 

なので一瞬、家族で顔を見合わせます。

「どうしよう、この場合、本当のことが言えない」という目配せです。

仕方ないのでワシが、「そうですね、三味線は十数年習ってました あと編み物や刺繍も好きでしたね」(三味線は1980年頃~1990年代半ば頃までやってたはず 編み物や刺繍はワシが幼稚園に入る前にやっているのを見たことがあるから嘘ではない)とさらっと答える。

本当は「お金がこの世で一番好き」「家族すら信用してない」で、一般投資家として株取引が趣味だった人なんですけど…有り体に言えば「金の亡者」なんですよ(恥)

あまり母の人間的なことを掘り下げると、蠱毒が湧いてくるのでここは掘り下げてはいけません(世間がドンビキする)

 

「どうせ弔問客も来ないし、嘘じゃないからこの程度のことは良いやろ」とワシは思ったのですが、この程度でもその場をとり繕うというのは大事なことなんだと後々思い知ります(そのエピソードは葬儀当日に詳らかにされます)

夕方にお通夜用の御膳が出て、それからお坊さんの読経があるのですが。

ワシら一同、平服でお通夜に参加する気満々だったのですが、斎場の人が「お通夜のお着替えもこのお座敷でなさってください」などと言うので、

「しまったお通夜は喪服で参加しなきゃいけないのか」と思い知ったわけですよ。

父、弟、オット、ワシの4人で粛々と一旦実家に戻り「各個人、喪服の準備は自分の責任でちゃんとするように、靴やベルトも忘れないで」と言い合いながら喪服を準備しました。

 

母の葬儀 その3

ワシが来るのを皆様待ってらしたようで、ワシが来て母の遺体との対面が終わるとすぐに葬儀社の人たちが斎場に母の遺体を搬送してくださいました。

場所は実家の近く、ワシが教育実習に行った中学校から徒歩数分の場所でして。小学校の同級生の伊藤くんの家のすぐとなりでした。

「あの頃は家なんかなかったのに、普通に住宅密集地になってる」と驚きました。

 

斎場は新しくキレイで、本会場に搬送する前にこじんまりとした小さな部屋に遺体は安置されて、自宅リビングっぽい雰囲気のインテリアの中でソファに座りながら葬儀社の人と葬儀の打ち合わせをします。

 

父の意向により「親戚には知らせない 近所の人にも知らせない ごくごく身内の家族だけで送る」事になり、「じゃあお葬式の設えも最低限で良いね」と言うことで、セット料金の一番安いコース(65万円だったか)に決定。

「供花くらいは良いものを供えましょう」って事で、「子供一同」名義で生花のスタンド(22000円)を2本注文。

棺と骨壷、霊柩車のランクも「一番低いので良いよ」と言ってたのですが、葬儀社の人が、値引きしてくださいまして(-_-;)スマン

棺も霊柩車も骨壷も1ランク~2ランク上のものにすることができました。

 

お坊さんの手配も葬儀社の人にお願いして、通夜、葬儀の進行を打ち合わせします。

「死に化粧はどうなさいますか」と葬儀社の人に言われて初めて気が付きましたが、

「そうだった普通は化粧するんだった」と思い出しましたが、

「きれいなお顔をしているので、化粧は不要です」とワシが答えると、葬儀社の人も、

「とても肌もきれいで口紅すらいらないようですね」とおっしゃるので、すっぴんで送ることに決定。

 

お坊さんに支払うお布施は、「葬儀 15万円」葬儀の時に初七日の読経も読んでいただくので、その「初七日 1万円」に決定。

ワシが姑を送ったときとか、お布施をいくらにするかで半日揉めた記憶がある(オット方の親戚に「うちは通常100万払ってるんだから、おたくだけその半額とかだとうちのメンツにかかわる」みたいに文句言われたわけよ 結局50万しか払わなかったけど)のですが、今は料金体系もはっきり明文化されてて明朗会計。

ごまかす隙もなく、とても良心的な葬儀社であると、この時にワシは気が付きました。

 

夕方になったので、母の遺体は一旦その談話室的な家庭的なスペースに置いて(ちゃんと施錠できる)父と弟、ワシとオットで北熊ラーメンを食べに出かけました↓

背脂の浮いた濃厚な豚骨ラーメンを食べる89歳男性…(さすがのワシも驚いた 普通に完食してました)

弟が「この店はチャーハンが旨いよ」と言うので、いただきました↓

確かに美味しかったです。

夜は実家に全員で戻り、弟は夜中、一時間ほど母のそばについてましたが。基本、実家で全員就寝。

なれない環境のせいでバトンが一晩中吠えてて超ご近所迷惑_(:3」∠)_申し訳ない…

 

そして翌朝。

通夜&葬儀会場のしつらえを見たワシは驚愕↓

仏様の後背が翼の形になってて全宗教対応の会場でした。

「結婚式会場かと思った…」