山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

永井敬二さんのこと

昨日、インスタグラムを眺めていたら、こんな記事が流れてきて思わず二度見しました↓

この記事を書かれた信國太志さんってこんなお方です↓

www.taishi-nobukuni.co.jp

 

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ところがワシは、デザイナーとしての信國太志さんは全く存じ上げなくて。

ミュージシャンとしての信國太志さんのシングルをたまたまラジオで聞きまして。

「コレはいい音楽だなー素敵だな」

と思いまして。

インスタグラムをフォローし始めてたんですよ。

そうしましたら、ここで永井敬二さんの訃報を知り、彼の記事中に書かれてた永井さんの様子が、その喋っている様子、指先の表情までありありと目に浮かんできて、胸を突かれました。

 

永井敬二さんは世界有数の椅子のコレクターとして有名なお方で。様々なメディアや展覧会などで取り上げられてたお方です。

ワシは若い頃の一時期、永井さんと交流があったんですね。

今にして思えば、当時のワシは二十代半ば過ぎ、永井さんは三十代半ば過ぎでした。若いなふたりともw

 

もともとは永井さんはオットが働いてたデザイン会社のインテリアを担当なさってて。

まーカッコイイオフィスだったわけですよ、

そのデザイン会社である時、永井さんのニューヨーク旅行に引率されて行った若い二人の建築家の「ニューヨーク旅行報告会」みたいなイベントが有りまして。

ワシもノコノコ出かけて行ってそのスライド上映会を見てたんですね。

そこで永井さんと二人の若い建築家とワシは知り合いまして。

その建築家の片方、カームラさんはのちのちこの今の家を設計してもらうことになるんですから、たまたまの偶然にワシの人生は握られているわけですよ。

 

永井さんは何故かワシを気に入って?くださり。かわいがってもらいましたねー。

ワシが当時、個人で発行してた「別府通信」という個人新聞を面白がって愛読してくださってました。

その後、一応当時のワシの本業であるスタイリストとしての仕事も依頼してくださったり。ご飯やお酒に連れてってくださいましたな。

ある時、永井さんに引率されて小料理屋みたいなお店に連れて行かれたら、お店の軒先にイワシが吊るしてありまして。

ワシはそれを指さしながら「イワシの頭も信心からってやつですか?」と元気いっぱいに永井さん聞いたことがあります。

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丁度、節分の頃だったんですけどね…(当時二十代のワシは実はこのとき、生まれて初めて柊鰯を見たのよ)

永井さんは失笑されておりましたっけw

 

冷凍パインの輪切りが大好きだった永井さん。

仕事には本気で怖い厳しい人なのに、お茶目なところがあって鋭い眼光が一転、柔らかく崩れてニコニコとなさる瞬間が好きでした。

あ。永井さんの思い出の洪水に流されてしまう。

どうか安らかに。合掌