と、いうわけで。
昨日は長崎方面から押し寄せてくる線状降水帯をすり抜けながら、早朝、熊本まで行ってまいりました叔父の初盆(熊本のお盆は7月なので)
本家に行くと家の中はキレイにお掃除されててピカピカになっててびっくりです。
叔母の親類縁者の皆様が全力で家の補修、お掃除をやってくださったようで、床板がたわんでいたトイレに続く廊下も合板が張り回されて、踏んでもゆらゆらしないようにしてありました。
ありがとうございますm(_ _)m
コロナ感染&完治後の実家父にも会いましたが、相変わらず元気そうでピンシャンしておりました。
実家父はYouTubeで見つけた好きな音楽の話とかしては、いとこ(70代男性)から「おじさん、YouTube見てんの!?」と驚かれておりました。
このいとこは若い頃から夜の中洲やら博多のライブハウスやらバーで歌ってた人でして(公務員だったのに)
「博多のフランク・シナトラ」と呼ばれてるそうです(ワシの実弟は自称「世界三大テノール日本代表(俺)」な人でありますから つまり、コレはそういう家系だって事なんですな)
んで。
本家で面白い話を聞いたので、その話を書き留めておきますね。
さて。本家でお坊さんが来る前にお茶を飲んで色々話してたら、叔母さまのご親族の方が、
「家を片付けてたらこんな物が出てきました」
と一冊のアルバムを渡してこられました。
今回、初盆を迎えた今年1月に亡くなった叔父の二十歳くらいから30代前半頃までの写真が中心のアルバムでした。
※結核が治って療養所から帰ってきた頃の写真(叔父は20代なかば)
その中に一枚、叔父の友人の写真が入っておりまして。
「この人はどういう(経緯でこのアルバムに収まっている)人なの?」と実家父に聞きましたらこんな答えが返ってきました↓
「この人はアニキ(今回初盆を迎えた叔父)の旧制中学の一年先輩で予科練でも一緒だった人たいー」
「ある日、この人が「小次郎丸の橋の上で待っとけ」ってアニキに言うて、アニキが待ってたらこの人が飛行機を操縦して橋の上にやってきて、上空で旋回したりぐるっと回ったり(宙返り?)したりしてアニキに手を振ってきた」
「この人はその後、特攻隊に志願して、すぐに戦死された」のだそうです。
こんな「永遠の0」みたいなエピソードが身近にあったんですね。